がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

衆人の目にさらされて なお染まらない

直近には、朝のTVで見た白バイ事故と警察の隠蔽&身内大甘体質*1
端的には「事故ったのが警察で調査も同一機関な警察なら調査あまくなるよねぇ」。


ま。警察という組織がありえないほど駄目な組織なのは今更なのでおいといて*2


検証調査機関が「起因した機関と同一の根っこをもつ」場合に問題が起きるのはごく当然の話。
だから医療現場において、普及してるかどうかはともかく「セカンドオピニオン」なる発想が生まれたんだと思うです。
衆人の目が必ずしも正しいわけではないにしても、多くの人の目にさらされる重要性がわかっているからこそ、OSSソースコードを読むことができ、暗号ロジックは公開されて検証されるんだと思うです。


もちろんそれは「自分の意見を衆人に合わせて曲げろ」という意味ではまったくないのですが。
自分を持つこと。衆人の目にさらされること。競合相手がいて、よい意味でバトルが出来ること(競争原理が働くとか言ってもいいのかな?)。
多分それはどれもとても大切なことなんじゃないかなぁと、いつもながら今更ながら思ってみたりしたので、めも。

*1:でふとググると出てくる出てくる「白バイの無謀運転で事故」なラベルの玉手箱。

*2:国家権力背負った○○○でしょ? 警察って

今を見つめない人たち

技術系もそれ以外も全部ひっくるめてなのですが、ふと思ったので。


例えば、宗教的瞑想(禅とか)とかそゆ世界観において「今」とか「自分」とかいうものを見つめなおす、ってのは割合によくやるです。
それはとりもなおさず「当たり前だ」と思い「当然だ」と思うさまざまなものが、当たり前でも当然でもないからです。
そうやって、自分自身を、人生を、振り返るです。
で…面白いのが、技術にもそれがいえるです。
当たり前のように与えられる、Webからのサンプルコードとか言語から与えられる機能とかその他諸々。
一度も疑いもせず検証もせずつかってませんか?


当然だと思い大丈夫だと思い当たり前だと思うことに一度目を向けてみる。検証し疑ってみる。
学習で私が最近とっぱしに持ち上げる、守破離の「破」の部分。
いつもそこに思いを馳せてますか?


なんか最近、与えられたものを盲目的に使ったり意味もなく逆らったりするシーンをあちこちでみるので、ちと気になって。