がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

「このサイトと同じものを」の危険性

以前から何度もあった話なのですが…ちょいとかみ砕いて。


まず。
「このサイトと同じように作ってください」という発注は、原則NGだと思っています。ここが結論。
高確率で「無考察」という背景が見えるから、というのが理由になるのですが。
以下、もう少々かみ砕いて。


上述の発注が来た場合。作業としてはまず「指定されたサイトの仕様調査」になるわけなのですが。
いわゆる「画面遷移」ひとつをとっても。コンパクトなサイトであっても、数十Pageに渡るなんてのは案外にさらっとある話です。
正直、全Pageなめ回して、抜けオチがないようにチェックするだけでも一苦労ですし。ある程度まで「使ってみて」、様々な分岐処理を全部洗い出した上で確認しなければならないので。
結果として…おそらく、発注側が気軽に使っているニュアンスとは裏腹に、大抵の場合「結構な高コスト」になります。


…という話をすると大抵出てくるのが「そこまでしなくても大体でいいですよ」という発言なのですが。
ほんの一瞬、こちら側に配慮いただいているげに見えるこの言葉は、大抵の場合「より一層の悲劇」への序曲です orz
さて質問。「そこまでしなくても」と言われた場合。「どこまで」やればいいのでしょうか? 指針を明文化してみてください。…できるなら。


また。
合わせ技で実は出てくるのが「要素の微妙な不一致によるズレとそれに対する思い込み」。
えと…わかりやすく。
「ジュエリーのECサイトを立ち上げたい」ってことで、見本として「食品のECサイト」を指定されて「食品がジュエリーに変わるだけだよ」とか言われて信じたとしましょう。
或いはもうちょっと酷いと「ECサイトを立ち上げたい」としか聞いていないとします。
…これは色々な見地があるのですが、食品の場合通常「階層型のカテゴリ」になる事がおおいです。例えば「肉 -> 牛肉 -> 和牛 -> テンダーロイン」みたいな感じですかね。
一方で。ジュエリーは「階層構造を持たないカテゴリ」が欲しいところです。つまり「使っている石(これがまた複数あってねぇ…)」「装着部位(…って書くとゲームみたいw)」など。
さて。
当然ですが「食品のECサイト」は、階層構造カテゴリを前提に作っています。画面遷移も含めて。
…それを完コピしたとして、それがジュエリーに使えますでしょうか?
否。断じて、否。
使いやすいにくいの前に、データ構造が違うので、色々と差違がでまくりです。


怖いのが。この話がなかなか通じないことです。
曰く「同じECだたいした違いはあんめ」「ジュエリーがこういう風に検索できるのは当然だそんなこともわからないのか」など。
この手の文脈でよく「常識」とか「普通」とかって単語を使ってくる人もまた多いのですが。とりあえず小一時間、色々と「質問してみたい」ところです。
あぁ一応念のため。…いくつか、引用してみましょう。
「あなたの常識、私の非常識」
「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。」


なんか妙にリアルな話になってしまいましたが。まるで講釈師のようですねぇ(講釈師見てきたようなウソをいい)。
問題は。おいちゃんは講釈師ではない、って事でしょうか orz(あとはさっしてくれ)


で…ここからが本質。
ぶっちゃけた所。「完コピヨロ」と言ってくる人たちに共通して見えるのは「少なくともその時点において、まともな考察ひとつ出来ていない」という事です。
「なんとなくこんな風なものを作りたい」という非常に曖昧模糊とした状態で発注してくるので。
まず初期〜中期においてmockupを作成して見せても「いいんじゃないですか」という反応(一見好意的反応ですが、実のところただの「のれんに腕押し」状態なだけです)が帰ってくるのですが。
ある程度(あるいは完全に)できあがって「から」、ようやくイメージが湧いてきて、ここで初めて「アレは違うこれは違うそれを増やせ」と言ってきます。当然見積もりは「システム一式」ですから、追加フィーの請求なんてもってのほかです。
…せめて「当初想定から追加された工数にはちゃんと別途でフィーを払う」というのでしたらまだ、飲めなくもないのですが(ちなみにンな状況見た事ありませんが)。


よくて「システム側が大量の被害を被る」か、多くの場合「グデングデンになってプロジェクト崩壊&未払い」なんて事象に発展します(値切り倒すお侍様とか…ねぇ)。無論。「落ち着いて話し合って最終的に落ち着いた軌道に乗せる」ケースもあるのですが…まぁ正直、稀です。
ちなみに合わせ技として。「その設計とmockupをそのまま別のシステム会社に渡して安く発注しなおす」なんていうありえない敏腕な営業さんも、過去に存 うわなんだおまえやめくぁwせdrftgyふじこlp
(ここで「不動産」とかいう単語は禁句なんだろうなぁ…)


まぁ…こんな事があるから「設計と実装で契約を分けたい」なんて気分になるんですがね。
おいといて。


結論を言いますと「完コピ宣言イクナイ!!」。
つまり「「このサイトと同じように作ってください」という発注は、原則NGだと思っています」になる訳ですね。
んと…例外としては。
「発注者がすでに元サイトを完璧に把握していてそれを文書化なりして詳細まで起こす事ができて、かつ新規サイトに対して"差違が全くない"または"差違はこの部分"というのが明示できる」場合、でしょうか。
それが出来た上で「御理解いただくためには元サイトを見ていただくのが手っ取り早いです」という発言であれば、「このサイトと同じように作ってください」という発言もありだと思います。


技術者受注者の皆様には是非とも「禁止ワード」として覚えていただくとともに。
…お願いですから。営業さん発注者の皆様におかれましては、是非「二度と使ってはいけない単語」としてご記憶いただきたいものなんですが…どんなもんなんですかねぇ?

企画/立案周りの考察

ふと…「5W1Hってなんか使えないかなぁ?」とか思ってみた。


Who(誰が)
ターゲットユーザ
What(何を)
扱うオブジェクト(化粧品なのか電子コンテンツなのか"口コミという情報"なのか)
When(いつ)
開始時期及び期間
特に、期間限定でない場合には「どんなヘルスチェックを行い、どんなサインが出たら止めるのか」が必須
Where(どこで)
???
Why(どうして)
何をしたいのか。企画の根本(哲学)。「お金を稼ぐ」のはWhyではなくて前提条件なので当然ながら却下
ビジネスロジックはここに含まれる
How(どのように)
具体的な実装/実現方法


まだ相当に「思いつきだけ」レベルなんだけど。
うまくブラッシュアップできないかなぁ?

抽象化による思考の弊害

割と大胆(だと本人思ってます)なタイトル付けてみました。
とはいえ…割と常日頃思っていることではあるのですが。


抽象化が「不要」だとまでは言いませんが。
正直、思考したり議論したりする時に。驚くほど「デメリットがある」んじゃないか? というあたりを投げかけてみたいかなぁと思います。


まず。言葉の定義を確認しましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BD%E8%B1%A1%E5%8C%96

抽象化(ちゅうしょうか)とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。抽象化において無視することについては捨象するという。従って、抽象と捨象は盾の両面といえる。

(抽象)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/125902/m0u/%E6%8A%BD%E8%B1%A1/

〔abstraction〕事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。


んと…「例え話」は、抽象化のひとつです。
何かを「数値に置き換える」っていうのもまた、抽象化のひとつ。
例え話も数値も。「議論したい本質だけを抜き出して些末なものを切り捨てることで、より本質的な議論ができるし、すっきりしてわかりやすいし」っていうあたりがとても大切だと思います。
そのために抽象化している訳でしょうし。


…本当に?


もう一度。もう一度、ある1部分を抜き出してみます。
「議論したい本質だけを抜き出して些末なものを切り捨てることで」。
この言葉を真摯に、正面から向き合った時に。「これができる/できてる」と言い切れる事が、果たしてそも可能なのでしょうか?
「議論したい本質だけ」を、適切に抜き出す事が、本当に出来ているのでしょうか?
「不要だと思って切り捨てたものが、その集合が。実は議論考察の上でとても大切であった」事は、本当にないのでしょうか?


例えば。
人間の作業量を「数値」にした瞬間に、個性とか個体差(スキル差違)などが限りなく見えなくなります。
そうすると。
以前「質に関する質問( http://d.hatena.ne.jp/gallu/20090317/p4 )」で書いたような「摩訶不思議な足し算」をしちゃうんですね。
「いくら稼いできた」という金額だけで人を判断して、いろいろなものを逃したり害したりするんですね。


例えば。
実は「全く違う視点から見ている」のに「同じ表現の比喩」を使ってしまっているために。議論が平行線を辿るんですね。
そういう経験をしている御仁は少なからずいらっしゃるかと思うのですが、如何でしょうか?


無論。
「あらゆる事をあらゆるシチュエーションで常に具象的に会話して常に全部を俯瞰する」なんて神業、「やりましょう」なんて口が裂けても言えません。少なくともあっしにゃぁ無理でやんす。


ただ。


抽象化が「いくつか、切り捨てているもの(捨象)」があるという事を。
捨象したものが、本当に切り捨てて良かったのかを定期的に振り返る事を。
必要であれば、いつでも「抽象化した議論/考察」から(少々どころではなく厄介であったとしてもなお)「具象化した議論/考察」にうつす事を。


もう少し真剣に、考察してみても良いんじゃないかなぁ、と思うのですが。
どんなもんなんでしょうかね?