がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

「場」の恐怖

久しぶりに技術文章「以外」を載せてみたいかなぁと思いまして。


直接のきっかけは…あるある大辞典の納豆のニュースかな? 不二家の問題もあるし、ほかにもあちこち。
いじめで「教室の中で先生も生徒もみんなで一人をいじめてた」なんてのもあるです。
倫理がどうの企業コンプライアンスがどうの。ええまぁ正しいのですが。
手持ちの専門知識&スキルのひとつである「魔術知識」をあわせて考えると…ちょいといやなことを考えてしまうです。


「場」という概念があります。まぁ専門的には聖別したり召喚したり喚起したりいろいろあるのですがおいといて。
よく「場の空気に飲まれた」とかいいますがまぁそんな感じのものを想定してください。
そうですねぇ…「限定空間に適用されているローカルルール」とかそんな感じでしょうか?
ルール適用によっては、これを「結界」と呼称する場合もあるのですがまぁおいといて。


大嫌いな「普通」という単語をあえて使いますが。
世間一般での「普通」と、ある限定空間における「普通」は、時々、びっくりするほど乖離します。
たとえば。厳重なために不便なセキュリティ対策を通常は「やだなぁ」「面倒だなぁ」と感じる…と思うのですが。「セキュリティ技術者」という「限定空間」の場合、ある程度利便性を考えたセキュリティを「怖い」と感じてしまいます(内容にもよりますが…まぁ大概穴が見えてしまうので)。
この「普通」の捕らえ方の一要因に、「場」というものが大きくかかわってきます。


或いは。


なんとなく「入りたいお店」「行きたい場所」があり。同じようになんとなく「いやな感じのする場所」「入りたくないお店」ってありませんか?
神社仏閣などで「荘厳な空気」に包まれたり、博物館絵画展などで「芸術的な空気」を感じたりすることも少なくないでしょう。
これもまた「場」の作用になります。


或いは


気がつくとみんなでやってた、とかいう、いわゆる集団暴行の類。
「一人で」その場を離れて冷静に考えれば、それが如何に「やってはいけないことか」、容易にわかろうその出来事を、やってしまう瞬間。
別の表現だと、「熱に浮かされた」とか「周囲に流された」とか。
全員が「周囲」に流されたとしたのなら。周囲の正体は何なのでしょうか?


人間は、大概において「何かを基準点にして」物事の判断を下します。
通例ほかに何もなければ、一般に感じられているであろう倫理観とかなんとかってのが基準点になると思うのですが。
もしそこに「場」が形成されている場合。その「場」に設定された「ある思考の方向性」が、その判断に大きく影響を及ぼします。
私が知っている限りでは、よほどしっかりと「場」を知覚していないと、その影響に抗うのは大変に難しいものです。


もう少し。「場」について掘り下げて見ましょう。


通例。魔術における「場の構築」は、それこそ山盛りの象徴を用いて儀式を構築し、割合「問答無用」に、その場所に「場」をプリントしていきます。
んと…板に、とにかくペンキをぬったくるようなイメージでしょうか?(笑
ただ。魔術における基本原則であり最も重要なのは「意思」です(感情、ってのもあるのですが、我々魔術師は「意思によって感情を制御する」トレーニングを積んでいるので、結果的に最重要項目は「意思」になります)。
かくして「魔術儀式によらない場の構築」への示唆が湧き出ます。
強い人間(大抵は少数)の「強い意志」もしくは「強い感情」があり(大抵は感情ですね)。そこに追従する弱い人間(大抵は多数)の「なんとなくそれに従う」動きがあり。
これを続けていれば、実は、案外に容易な場の構築ができます。


なんとなく突っ込みをいれて軽く「落とす」対象を一人の生徒に。
対外的外聞的問題のヘッジとより一層の経営効率を。
より「インパクトのある」番組を。
よりたくさんの、効率的なお金儲けを。
ある特定の人々への憎悪と害意を。
その他諸々。


魔術儀式において。「場」は厳密かつ綿密に設計がなされ、また構築した「場」は極めて短時間で破壊するのが通例です。
なぜかといえば、「場」は人間に対して恐ろしく強い影響力があり(ゆえに使うのですが)、また場の性質は容易に「暴走する」性質を持つからです。
ちなみに。魔術世界においても「他人の場を壊す」のはえらい大変です。なにせ「知覚」が難しいので。
「場がある」ことまではどうにかなっても、その「場」を分析するのが、えらいしんどいです。「場」に触れないと解析が難しいのですが、触れていると「影響がある可能性」が示唆されてしまうために。分析結果が「場の影響に拠らないものであるかどうか」の検証がものすごく大変なので。


ましてや一般人においてや。


正直なところ。「場というものがある」事を認識し、その怖さを知っている人っていうのは、ものすごくわずかになります。
それでも。割合に多くの人が「抜け出して始めてその場所が異常である事がわかった」って経験はあるとは思うんですがね。
或いは、よく言われる「空気を読め」は、正しくは「場の空気を読め」になり。つまり、「場」に対して鋭敏なセンスを持つことを、割合に多くのシーンで環境で、要求されているんですね。
でも。「鋭敏になる」ってことは「影響を受けやすい」事でもあるのですが…その辺について言及しているモノを見たことはないですねぇ正直。


多くの人は、まず「場に飲まれた上で知覚できない」事が多いです。また、「知覚できていない」ために、外側にある「場」についても意識が乏しかったりします。
具体的には。
場の中にいるときの「外から見たら異常であると思われる言動や思考」を疑いもせずに飲み込み。
場の外にいるときに、そういった「場に影響された」行動を「愚かだから」「クズだから」と一蹴してしまう。
どちらも、それこそ「愚の骨頂」です。


まぁ正直。「場」の影響力ってしゃれにならんです。本気で抗うには結構な知識とスキルと苦労とが必要になります。
それでも。とりあえず「いったん振り返れるようになる」だけでもずいぶんとマシになりまして。で、そのために必要な第一歩は「知覚すること」になるです。
つまり「場というものがあることを知ること」。そうして、その場を考察する際にはなにはさておきまず「その場から離れてから考察をすること」、或いはとりあえずまず「離れる、という意思が持てるようになること」。


「場」の影響を言い訳にはできません。判断は「あなたが」しているのですから。
でも、その「あなたの思考を捻じ曲げる存在」があるのだとしたら。少しくらいは対抗策があっても、それを知っていてもよいのではないでしょうか?


不祥事を起こした人々には十分な反省すべき点があります。
それを踏まえたうえでなお。
場の影響力を軽視し、或いは無視した「外部の決め付け的議論」に一定の、なにかいやな思いを、感じてしまう気持ちは否めません。


というわけで。
「場」の怖さと警句なりはなってみようかなぁと思ってこんな駄文を書いてみました。