がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

他人の心を自分のロジックで分析する怖さ

直近に感じたのは
秋葉原通り魔事件 〜 人生はリセットできない
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/ea/27/index.html

思考実験:2010年「殺傷ゲーム禁止法」制定
http://blogs.itmedia.co.jp/pina/2006/07/post_42e8.html
あたり。


なんていうか…ええまぁすみませんさらりと暴言吐きますが。
ある程度年齢がいっちゃってる、いわゆる「頭の固そうな」お年頃の方々に多い論調なのですが。先に書いちゃいますと「オレが気にくわないからそれは悪だ」。


まず、いくつか引用をしてみましょう。

私は、若い人たちがこれだけ人の命を軽く扱うようになった最も大きな原因は、家庭でも学校でもなくテレビゲームではないかと危惧している。

しかし、昨今の事件はまだ前兆でしかないのではないかと危惧している。幼いころから人を殺すゲームに親しみ、命の重みに実感のない人たちがどんどん増えている。いま事件化しているのは、実はほんの一部で「俺だってやってたかも」と思う予備軍は数知れないのではないだろうか。そして、これからも。

いつのころからか、オタクやゲーム、アニメの街になってしまった。それを最新文化を取り込む秋葉原の魅力だという人もいるが、わたしには異常なこととしか思えない。

わたしも精密機器を製作する会社を経営しているので秋葉原にはよく出かける。先日、40歳を超えたと思われる男がスカートをはいた奇妙な格好で歩いているところにいきなり出会った。ゲームかアニメの主人公の姿を模した「コスプレ」というものだろうか。
イベントや冗談でやっているのではなく、堂々と普通に歩いていた。秋葉原の街が「仮想空間」だとでも思っているのだろうか。そこは、多くの人が行き来する大通りである。これが「最新文化」なのか。わたしはあぜんとして見送るばかりだった。

男なら誰しも女性と付き合いたいし、持てたいが、そう簡単にはいかない。口説いて振られたり、無視されたりしながら、相手にどうしたら好かれるか努力するのが人生だ。
それもしないで、3800円払って、恋人気分を味わうとは情けない。*1

ゲームとこうした事件には関連性がないと主張する人たちもいるが、本当に関係がないのかあるのか、そろそろ日本でも本格的にゲームが精神におよぼす影響について調査・研究するべきではないか。

日本では米国ほどシューティングゲームが盛んではないようだが、相手が仮にモンスターといえども、小学生の時代から相手を殺すゲームを続けていたら、人殺し感覚を学習してしまうと思う。

バーチャル空間であまりに長時間、長期間、それを繰り返すと、仮想と現実の区別がなくなり、現実空間でも同じことをしてしまうのではないだろうか。
加藤容疑者を見ていると、驚くほど無責任な振る舞いには、そのことが原因の一つであるとしか思えない。

先日、テレビか何かで見たのだが、ゲームに登場する女の子の誕生日に、オタクの男性がケーキを買ってきた。そして、テレビ画面にその女の子を映し出し、「○○ちゃん、お誕生日おめでとう」と言いながら、ケーキをうれしそうに食べていた。
これがやらせでないなら、もはや異常だ。異常という言葉が悪ければ、あきらかに現実からはるか遠い世界だ。

だから、ゲームを作っている人たちに強く言いたい。いくらもうかるからといって子どもをダメにしていいのか。殺人や暴力のゲームは今すぐ作ることをやめてほしい。

なんていうかですねぇ平たくかみ砕いて翻訳すると「オレがよく理解できなくてなんとなくキモいから有罪」っていう風にしか見えないんですね。
対象となるキモいものに対して、知ろうともせずに全面的に拒絶して終了。しかも体裁だけはいかにも清く正しく美しく整えてるもんだから…「善人ほどやっかいな輩はいない」状態。


まず発想として「なんか変なんじゃないかと俺は思う」という、非常に感情的な前提があって。でもそれは「調査に裏付けなどされていない純然たる思い込み」でしか無いはずなのですが。
なぜかそこを立脚点にして、その立脚点が確固たるものとして思考をどんどんと展開していってしまう。
言うなれば砂上の楼閣。


ぶっちゃけてしまえば、犯罪なんてのはもの凄くプライベートな部分のもので、従ってそこに行き着くまでのロジックは「当人のロジック」でなければならないのに*2、彼らは一様に「自分のロジックで他人を解明しようとする」です。
アルゴリズム間違えたらoutputされるdataも間違ったものにしかならんのですが。
で、その誤ってるデータを掲げて「@@すべきである」と言い切ってしまう。
…それはテストでNG食らいませんか?


ちなみに。まだまだ研究の余地はありそうではあるのですが。
暴力的ゲームは子どもに影響なし--ハーバード大心理学者が調査
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20373140,00.htm
なんてぇ楽しい記事もあったりします。
いやなに「調査研究すべき」とかいう妄言が聞こえましたものでええ。


結局のところ。
何が怖いといって「ある衝撃的な事件を利用して自分のエゴを正当化して他人に押しつけようとする」その発想と行動が、なによりも怖いんじゃないかと思うのですがどんなもんなんでしょうか?
でまた…そういった人って結構社会的地位が高かったりするんですよねぇ。
私は。自らを知り相手を知る事というのは「第一歩目」だと思っているのですが。
「自らのロジックを他人に押しつけ相手について知ろうとも思わない」を第一義にしている方々が、やはりいらっしゃるわけで。
…そこからちょっと怖い発想が生まれたり生まれなかったり*3


いやぁ。現実って本当にままならないものですねぇ(水野晴郎氏の口調でw

*1:ごめんここ思いっきり突っ込み。おっちゃん風俗行った事ない? 一回も? 本当に?

*2:尤も、犯罪者当人のロジックは、多くの一般人にとってはちょいと刺激が強すぎるので。分析とかをするときに間違えると色々と汚染されたりするっぽいです。

*3:まぁ「お客様の事を本当に考えていたら」あんな産地偽装やこんな偽装請負は起きないわけで。屍山血河の上で生活するのが好きなんでしょうねぇきっと。とあるジャンルの方々は。