gallu’s blog

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

久しぶりに雑感など

んと…元ネタはこちら。
今更google叩いてる奴って・・・
http://anond.hatelabo.jp/20081005152802

別に肌に合わないから批判するのは、人間として仕方ないけど、
それはあくまでも、サービスについての批判であって、企業全体に対してじゃないだろ。

えと…「そのサービスを発想し構築し運用し、また批難があってですら迅速な対応が出来ない企業体質に対して」の批判が含まれているんだろう、と思うのですが。
だから「Googleという会社自体の批判」が発生しうる、と。


個人的には。あの会社には「いっそ、嫉妬と怒りすら覚えるくらいに素敵な会社さん」という印象が強いので。今回の騒動は色々と残念だなぁと思うことしきりなのですが。


それはそうとして(ぢつはここからが本題)、ストリートビューは…どうなのかなぁ。
問題や疑問に対するGoogle社の曖昧な返答とか対応の鈍さとか役員の無責任な放言とか、そのあたりは割とストレートに「危険なもの」を感じるのですが。
ストリートビューというサービスそのものの問題については…なんかまだ考察しきれていないというか自分の中ではまだ消化しきれていない感じ。
ただ一つあるとすると。「スコープの広さの問題を基点に」ちょっと嫌かなぁってのはなくもない。


時々見る反論の一つに「いいじゃんそも普通に見られるものなんだし」という類のがあったように記憶しているのですが。
ストリートビューを通すと「場所の制限」と「時間の制限」という二つのスコープがわりと思いっきり破壊されてるように感じるです。
つまり「その場所でその時間に見る事が出来る」ものを「IPリーチャブルであればどこでも、起きていればいつでも見る事が出来る」わけで。そのあたりの「スコープの差異」って、結構でかいのかなぁと思うわけです。
でその結果として…個人的かつ極端に感覚的な主観的印象値として「なんとなくやだなぁ」という感情が導き出されてたりします。
…人とか車とか、そういうものを一切うつさない。それこそ「TOKYO NOBODY ( ISBN-13: 978-4898150313 )」のような(車ってどうだったっけ?忘れた(苦笑) )写真なら、また全然違う評価になったんでしょうけどねぇ、と。


あと。
「私道からしか写せない写真でってことは私道に入ってるからNG」ってのは…うんすごくよくわかるんだけど全然解らない(苦笑
なんていうか…自分は根本的にある種の倫理観が欠落しまくってるので。「駄目だから駄目」という理論がまったく理解できないので。
「なぜ私道に入ってはいけないのか」が…あ、「自分の庭に他人に勝手に入られちゃ嫌だ」と同じ理由なのかなぁ? だとしたらわからんでもないけど。ただ…うんやっぱり、もう一つピンと来てない。「私道」ってものそのものが自分の価値観に多分存在していない(苦笑 *1


グーグル社曰く「撮影作業員は公道私道を区別するデータを持たずに走行している」
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20081004.html#p01

情報提供者によると、集合住宅でグーグルの撮影車が駐車していたため、運転手に「公道私道の区別はついているのか」と問い質したところ、答えずに図1の文書を手渡され、会社に問い合わせるよう言われたのだそうだ。その際、運転手は逃げようとして急発進し、あやうく轢かれそうになったとか。

という、端的にいうと「慌てた」対応を見るに。私道を走るってのは、それなりに「まずい行為」なんだろうなぁ、とは予想するんだけど。
………うんやっぱりなんか自分の頭に浸透してこない(苦笑


まぁ。
「まずいと思ったらまずいと主張する」のは、一定の条件を満たした場合にかぎり*2、非常に良い事だと思うので。
でまぁ、当然といってしまえば当然ながら。個人的には、高木先生の行動は、その条件から踏み外れていないので。
しばらくはこの辺のストリートビューの議論を色々と見守ってみたいなぁとか思ってみたり。


とはいえ…Googleさんに、是非どんでん返しに「素敵な」対応をお願いしたいところなのですが;;

*1:根本的且つ致命的にハイレベルで「方向音痴」&「迷子属性持ち」なので。ある程度大きな道路以下は可能な限り忌避する傾向にあるのでw …多分「2車線ある私道」ってそんなにないですよねぇ? 多分。

*2:ちなみに「まずいと主張するための一定の条件」は非常に簡単で「会話が出来る事」。言い方を変えると「きちんと相手の発言を耳に入れてかみ砕いて不明部分は質問しながら理解した上で次の言葉を述べる事」。相手の発言を無視したり曲解したり理解を深めようとしなかったりするやり取りは、個人的には「会話」とは呼びません。