がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

抽象化による思考の弊害

割と大胆(だと本人思ってます)なタイトル付けてみました。
とはいえ…割と常日頃思っていることではあるのですが。


抽象化が「不要」だとまでは言いませんが。
正直、思考したり議論したりする時に。驚くほど「デメリットがある」んじゃないか? というあたりを投げかけてみたいかなぁと思います。


まず。言葉の定義を確認しましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BD%E8%B1%A1%E5%8C%96

抽象化(ちゅうしょうか)とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。抽象化において無視することについては捨象するという。従って、抽象と捨象は盾の両面といえる。

(抽象)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/125902/m0u/%E6%8A%BD%E8%B1%A1/

〔abstraction〕事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。


んと…「例え話」は、抽象化のひとつです。
何かを「数値に置き換える」っていうのもまた、抽象化のひとつ。
例え話も数値も。「議論したい本質だけを抜き出して些末なものを切り捨てることで、より本質的な議論ができるし、すっきりしてわかりやすいし」っていうあたりがとても大切だと思います。
そのために抽象化している訳でしょうし。


…本当に?


もう一度。もう一度、ある1部分を抜き出してみます。
「議論したい本質だけを抜き出して些末なものを切り捨てることで」。
この言葉を真摯に、正面から向き合った時に。「これができる/できてる」と言い切れる事が、果たしてそも可能なのでしょうか?
「議論したい本質だけ」を、適切に抜き出す事が、本当に出来ているのでしょうか?
「不要だと思って切り捨てたものが、その集合が。実は議論考察の上でとても大切であった」事は、本当にないのでしょうか?


例えば。
人間の作業量を「数値」にした瞬間に、個性とか個体差(スキル差違)などが限りなく見えなくなります。
そうすると。
以前「質に関する質問( http://d.hatena.ne.jp/gallu/20090317/p4 )」で書いたような「摩訶不思議な足し算」をしちゃうんですね。
「いくら稼いできた」という金額だけで人を判断して、いろいろなものを逃したり害したりするんですね。


例えば。
実は「全く違う視点から見ている」のに「同じ表現の比喩」を使ってしまっているために。議論が平行線を辿るんですね。
そういう経験をしている御仁は少なからずいらっしゃるかと思うのですが、如何でしょうか?


無論。
「あらゆる事をあらゆるシチュエーションで常に具象的に会話して常に全部を俯瞰する」なんて神業、「やりましょう」なんて口が裂けても言えません。少なくともあっしにゃぁ無理でやんす。


ただ。


抽象化が「いくつか、切り捨てているもの(捨象)」があるという事を。
捨象したものが、本当に切り捨てて良かったのかを定期的に振り返る事を。
必要であれば、いつでも「抽象化した議論/考察」から(少々どころではなく厄介であったとしてもなお)「具象化した議論/考察」にうつす事を。


もう少し真剣に、考察してみても良いんじゃないかなぁ、と思うのですが。
どんなもんなんでしょうかね?