がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

無謬性、ですかぁ

あまり知らん単語だったので、ちと調べてみたです。
無謬
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/189388/m0u/%E7%84%A1%E8%AC%AC/

誤りのないこと。

………ありえないし orz


面白いのが。Googleで検索すると、他のキーワードで「公務員 無謬性」と出てくる事。
いくつか引用してみましょう。


http://kawauchi.exblog.jp/2617339/

「無謬性(むびゅう)」「という言葉を聞いた。要するに『誤りを犯さないこと』を重視するために
何もやらないことがいいということである。役所に長く勤めれば勤めるほど、「何もやらぬが無難」という空気がある。これでは新年度予算に反映してくる訳がない。何をやりたいのか、どんなサービスを提供したいのか、喜ぶ村民の顔を見たくないのか。役場職員の失敗なんてしれたもの、無謬性、無謬性、変な言葉を覚えてしまった。


http://plaza.rakuten.co.jp/careerdesign/diary/200703160000/

先般,広報誌を例外的に自治会経由で配布したのですが,その配布依頼の旨を記した文書の宛名書きのことでのご意見の電話でした。


確認すると,言葉の用法的には間違いはなく,常識はずれとはいえないものの,シンプルすぎて「礼儀を重んじている」「心をこめている」のはちょっといえないかな?と感じられる書き方でした。その方は自治会長を長年勤められ,幾度も市から同様の文書を受け取られていたのですが,そのたびに違和感を覚えられ,以前も市役所へ一度ご意見されたことがあるとのことでした。


電話を受けた私自身,ご意見に共感いたしましたし,今後宛名の書き方を変えることなど造作もないことだと考えましたので,お電話くださり意見を賜ったことにお礼を述べ,他の職員や上司にもこのことを伝達して,以降の配布文書にはご意見を反映できるように働きかけます,と申し上げました。


この市民の方は柔和な方で,お電話を終わられる際には「こんなこと言って申し訳ないけど」などとおっしゃっていました。


とんでもない。


誰の時間でも無尽蔵にあるわけじゃない,電話をすれば通話料だってかかるのに,それでも意見を届けてくださった,そのことに,感謝以外に何を感じましょうか。


電話を置き,私は早速所属長にこの電話の件を伝えました。そして,同じ班で仕事をしている同僚たちにも話しました。


手前味噌になりますが,今,区役所開設準備のために一緒に働いてる面々は,仕事に対する誠意,意欲,能力すべての点で,世でいわれている「お気楽公務員」「働かない公務員」とは対極に位置するような人ばかりです。先週は,ひどい風邪をひいて声もろくに出ない状態なのに,「今が一番大事なときだから」と職場で仕事を進める者もおりました。


その同僚たちの反応は・・・意外だったのですが,こんな感じでした。
「宛名の書き方,間違いはないし,意味はちゃんと通じてるよね。直す必要あるの?」
「これまで本庁(市役所にある元課)もこのとおりでやってきたんです」


もちろん私も,件の自治会長さんも,今までのやり方が明々白々な間違いであるなんて言っても思ってもいません。
ただ,これまでの書き方に違和感を覚えるひとがたとえ「ひとり」でもいて,今よりもっと深い敬意を込めた書き方ができるその可能性があり,今の書き方を改めるのに何の障害もないのなら,ごく普通に,素直に,改めればいいんじゃないの?というのが私の気持ちなのです。


ひとりとりわけまじめな職員は,その場で「うーん」と頭をかかえてしまいました。いただいた意見に沿って変えてみようよ,という私の態度は,なんだか軽薄なようにさえ思えてしまう状況でした。


確かに,公務員の仕事というのは,正確さ,ルールの遵守の点ではことさら厳しくなくてはなりません。だけど,「それだけ」を満たしていればいいわけでもないのです。
私は思いました。どうしてそこで頭を抱えちゃうの?直す必要あるの,なんてどうして考えるの?
公務員の無謬性はたしかに,自身に厳しく課していかなければならないことです。でも,「間違っていません!」ということに「こだわる」ことは,変化を拒み,改善の機会を失うことにつながります。
正しいか,瑕疵がないか,は,私たち公務員には非常に大事なことで,常にそれを求められている緊張感から,「正しい」「間違ってなんかいない」ということに頑なになってしまっているのかな,自分自身の無謬性に「こだわり」を持ってしまいがちなのかな,ということを今回の一件で感じました。


私のように「こだわり」が薄く,新しいものや変化を好む人間が,もしかしたらこれからは役に立てたりするのかな,なんて能天気に考えています。これらの特性の裏返しとしてついてくる「うっかり屋」,「お調子者」という側面には十分注意が必要と自戒(笑)しながらも,ふわふわシッカリ,で仕事に取り組もうと思いました。


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000582&tid=a1fca1zbfbfbcba4ra45a4ia49a4ya1bca1za1fc&sid=2000582&mid=72

公務員の無謬性、無謬性、無謬性・・・・・・。 はじめに公務員の優位性と無謬性在りき・・・。
その後、それに沿って論理を組み立てていく、高級官僚から下級公務員まですべてそのような思考で行政を進めているように理解すれば、ある程度のつじつまが合う。
『謝罪』と言う言葉は、彼ら公務員の辞書には無いのか・・・・?


http://blog.livedoor.jp/planning_club/archives/51136356.html

さて、それでは、この問題をプランニング視点で考えた場合にどのような課題が浮かび上がってくるのでしょうか?


この問題で、システムの不備を指摘されたときの一貫した官僚の釈明が象徴的です。


それは、「無謬性(むびゅうせい)」です。
「無謬性」とは間違いがないこと、間違いがない方向性を指すということです。


釈明の論旨としては、極端な言い方をすると、「間違ったことをしているわけではありませんが・・・、今後のやり方を変更してあげる」という上から目線な感じでしょうか。


http://www.kyudan.com/cgi-bin/mb/mb.cgi?mode=res&namber=1602&no=0

現行の行政システムでは、前例踏襲主義や、均質的な人材からなる組織ゆえ
の適応力の低下、調整を重視する行政手法、さらには、国民が行政の無謬性を求めすぎることなどが相俟って、環境変化に応じたスピード感のある改革が実現できず、既存の事務・事業の見直しによるスリム化・効率化、大胆な再編がなされにくい。

(国民が求めてるんじゃなくて、内部にそういう場があるだけなんぢゃないの?)


http://okasina-nippon.seesaa.net/article/64933394.html

無謬性
公務員の無謬性といって、彼らは悪意をもってなした行為以外では責任を問われないことになっている。


http://oshiete1.watch.impress.co.jp/qa4440940.html

公務員は謝ってはいけないのでしょうか?


区役所職員です。先日、町内でイベントがありました。区役所の担当者は、打ち合わせに遅刻・欠席、当日は調整不足で物品不足、遅刻した上片付けないで帰ってしまいました。当然、町内の参加者から大文句が出て、わたしはその場で謝りました。しかし、後日上司から「(あなたは)責任が取れる立場じゃないので謝るべきではなかった。謝れば区役所の非を認めることになる。公務員は謝ってはいけない。」と言われました。先輩や同僚も同じような意見で、「民間とは違う」「個人の立場で謝るならいいが、区役所として謝ってはいけない」と言います。
これって正論でしょうか?わたしは迷惑をかけた人たちが何も感じないことに疑問を抱いていますが、わたしが間違っていたのでしょか?


えと…「過ちて改めざる是を過ちと謂う」言葉を思い出してしまうのは私だけでしょうか?