がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

道具の使い方

メタファーとか暗喩とか隠喩とかアレゴリーとか寓意とか。まぁそんな系列のもにょもにょを念頭によぎらせてくださいませ。
お題は「料理」です*1。わかりやすいので、調味料と調理手順に焦点を当てたいと思います。


初手。
「調味料」というカテゴリに、例えば、塩、砂糖、醤油、味噌、などが含まれている事を知らない人はあんまりいないと思うのですが。
ただ、じゃぁ例えば「一般的な日本のお総菜のあの味を出すのには、例えばお煮染めなんかを作るのにはどんな調味料を使う?」って聞かれてド固まりするってぇのは、料理に不慣れな人だとわりとありがちな光景です(概ね、醤油+[ミリン or 砂糖]。これにお酒が入ったり入らなかったり。比率としては1:1:1が、身も蓋もないですがとりあえずベースにしやすい配合ですんで後はお好みで)。
でまぁ、多少慣れてくると、どうにか組み合わせを覚えたりあんちょこ作ったりしはじめまして。
んでもってまぁ、ンじゃ醤油を薄口にして色を綺麗にしてみたり、あえてのたまり醤油で、とか。煮きり酒で苦みをとかちょっと水飴で照りを出したり山椒の実でアクセントをお酢でまろやかにエトセトラえとらんぜ*2
色々とやり始めるですよ。やらかし始めるとも言いますし、実際、結構な回数やらかしたりもするのですが(えぇ…記憶と経験はたんまりとございますともさ…)。
でもまぁそんな試行錯誤が楽しい世界ではあるのですが。…1人でなら。或いは、相手が異論無く(いやまぁ異論があってもいいのですがとりあえず)付き合ってくれるのであれば。或いは最悪でも、相手があきらめてくれるのであれば。


んでもって。
ふと、そんなときに「つゆの素*3」とかいう存在を知るわけです。それがまた「出汁入り」とかだったりするわけですよ。
なんだかんだ、味は毎回調合が微妙に違うから安定しないしっていうか出汁とるの面倒だし濃度も微妙に甘かったり辛かったりギガスラッシュ*4
それが、この「つゆの素」一個で、らくしょ〜でいけるですよ!!
まぁ便利!!
っつわけで。「つゆの素万能主義」が黎明期を迎えます。
炒めてよし、煮てよし、蒸してよし。
出汁を取る必要もなくて、適当な濃度でぶち込むだけで簡単に、しかも良い感じの味になるです。
まぁなんて便利なんざましょ。


とはいえ。味が単調になるのは避けられませんで。
どうしたものか首をひねっていると。よ〜く見ると、いろいろなメーカが、色々な「つゆの素」を出しているですよ。
似たようなパターンで麻婆系があるので、出してみましょう。
いっつも麻婆豆腐の素で色々作ってたですが。
お茄子の時は麻婆茄子の素、お豆腐なら麻婆豆腐の素。最近は麻婆春雨の素に麻婆もやしの素なんてのもあります。これで微妙な味の差も出せますし、適材適所に素晴らしい感じでございます。


さらに、ちょっとした変化球も覚えました。
麻婆茄子の素に、ちょっとだけ麻婆豆腐の素をくわえるとまろやかになったり(これが本当かどうかは全く存じ上げませんので実験するなら自己責任でお願いいたします…まぁ、さほど惨い結果にはならんと思いますが)。
そうやって、たくさんある「**の素」調味料を、自在に千変万化に使いこなす実力を身につけました。
これは相当なものだと言えるでしょう…素人なら。


実際問題。
プロ…というか「職業料理人」の知人から話を聞いたのですが。実際にお仕事の現場でも、いわゆるそういった「出来合の混合調味料を使う」事は多いそうです。楽ですし、味もぶれませんし(味のバランスと比較して、味の濃淡は、少々の変動なら比較的「わかりにくい」んだそうです)。
ただ当然ですが、どこに行っても「似たような味」ですし、その「素の味」次第で、なんぼでも味は落ちるそうで。
だからまぁ「素の味のチェック」は欠かせないそうなのですが…いわゆる「すぅつ族」が仕切っていると「値段だけ良い感じの粗悪品」を採用してしまう事も多く、そうなるともう目もあてられないんだそうです。
まぁ「あきらめて使うしかない」んだそうではあるのですが。…無論「味の保証はない」とか身も蓋もないことも言われました、ってのは若干脇道。


それ以外にも。中途半端な「職業料理人」の場合。
その混合調味料で作れる味の外側にある味を。
つまり、例えば「あえて素材と出汁を楽しむために、醤油をギリギリまで減らす」とか、そういった調整を。「出来るわけがない」の一言で切り捨ててしまうそうです。或いは「それは素人考えだ」と。
そういった「職業料理人」にとっては、メーカが用意した「混合調味料」の世界が全てで、そこから逸脱するのは「素人の浅知恵」的な感じになるのだそうです。
ちなみに、メーカが変わるのもあんまり好まないんだとか。手順や薄める比率とかが微妙に変わるのがいやなんだそうで。


或いは。手順で「とりあえずのおまじない*5」っていうのがありまして…これがまた色々と。
例えば。油揚げは湯通しをする、お味噌汁には一滴の醤油で隠し味を、煮物には日本酒で臭み消しを、その他諸々。
覚えたての頃は、これがまた結構良い感じになるのでやりますし、またそれで料理の味が上がって、なんていうか「このおまじない最強!!」とかって思う事しきり、なのですが。
ふと気がつくと「おまじないに縛られてしまう」事が多々あったりします。
例えば。油揚げは湯通しで油を抜く事も多いのですが。「酸化した油を取り除きたい」が基準であれば、油通しをした方がよいケースもありますし。ちょっとこってりと濃い味付けをするのであれば「あえて抜かない」という考え方もあります。
で。おまじないに縛られてしまうと。
単純に「油通しする」「湯通し/油通しをしない」という選択肢ですむはずのことに対して「湯通しした後に油通しをする」とか「湯通しするけど湯通ししない」といった状態を求めてしまい。
んでもって挙げ句、よくわからない、不可思議な手順とTipsを生み出してしまったりするわけです。
素直に「そのおまじないを一回念頭から外したら?」とか思うんですが、大抵帰ってくる返事は「こういうものなんです!!」系。別にまぁあたしゃ気にしませんがね。食べに行かなきゃいいだけの話ですし。


で、まぁ、いわゆる真っ当な「プロの料理人」さんが。
例えば「混合調味料」の類を使っているかというとソンな事は全然の全くが皆無なわけでありまして。
「必ずやる」おまじない手順を、常に毎回かならず無考察にやっているかってぇと、ンな事も全くもって全然なわけでありまして。
極々基本的な調味料の組み合わせだけで、これは文字通り、千変万化な味を構築するわけであります。
調理手順にしても、本気で「どんだけ知ってるの? っていうか脳みそからこぼれ落ちないの?」ってな種類から、最適かつ最小限の手法をチョイスして用いるわけであります。
もちろん、状況に応じて。混合調味料を「使う時もある」そうですし、定型的な手順も色々お手持ちで、使えるんなら使える時には使うそうですが。


調味料に関しては、一つには「自分で組み合わせる」ので、恐ろしいほどの自由度/柔軟性があります。
もう一つには。それだけに「基本になる調味料」に対するチェックといいましょうかこだわりといいましょうか、は、結構半端ではないものがあります。
「上質かどうか」ではなくて「望んでいるものかどうか」がポイントらしいんですがね。
そのあたり、話を伺うと半端無く面白いです。
えと…お醤油でたまさかそのお話しをうかがう僥倖に恵まれたのですが。
「生で使うか煮て使うか焦がすのか。香りを使うのか味が基準なのか。素材を生かすためにあえて香りを押さえたものにするか、素材に対抗できるようにしっかりしたものにするか」などなど(えと…多分記憶に間違いがなければ、20分くらい立て板に水状態でとうとうと)。
なんていうか…「お醤油」という一言で片付けちゃいかんのだなぁ、と、心の底から理解をさせていただいたものでございます。
似たような事を。イタリアン(…確か専門はフレンチだったはずなのですが、何でか異様にイタリアンに詳しいっちゅかイタリアンの話しか聞かなかったですねぇその方からは)のシェフの方に聞いた記憶もあります。
シンプルなトマトソースの作り方を聞いた瞬間に切り替えされたのが「トマトのなにを楽しみたいの? フレッシュでフルーティーな風味? さわやかな酸味? 煮込んだ時の旨味? トマトの"なにを"楽しみたいかで、全部作り方違うよ?」という問いでした。
己の質問の手ぬるさっつか見識の甘さに気付いた瞬間でした。いやなんていいましょうかまさに「神は細部に宿る」もんです。


手法に関しては…例えば「炒める」という(うちら一般素人的には)1つの調理法は、実際には何種類もの「別の」調理法を大まかに呼称しているに過ぎず。
あの人たちは、「炒める」なんて雑でアバウトなレイヤーでは語らないそうです(この辺は中華料理系の人が凄かったですねぇ)。
「なにがどう違うの?」とか正直疑問符多々ではあったのですが。「食えばわかる」と言われました。食ったらわかりました。うん確かに別物。甘いものと辛いものを「味がする」でひとくくりにするくらい乱暴な分類です多分「炒める」って分類は。


で、そういった「プロの料理人」の方から教わった心得の基礎の基礎は、身も蓋もないものでした。

いらんことはするな

使わなくていい調味料は使わない。やらなくていい料理工程は経ない。かけなくていい時間はかけない。
どうしてもやらなきゃいけない最低限を、最小限だけやること。
料理道具も調味料も手間も使う素材も、全部一緒、との事でした。
で、こんな話にまとまってました。

道具の最良の使い方は、使わない事

必要なら、どんな大がかりな道具だって大仰な道具だって、複雑にそれらの工程を組み合わせたっていいと思うんです。
でも「道具ありき、使う事ありき」でものを考えると、人間が道具に振り回されてしまうんではないかなぁ、と、しみじみと思うわけです。


んでもってさらに。
彼らは常に定期的に。
例えば素材の味を確認する、調味料単体の味を確認する、単純な調理技法を確認する、といった「自らの足下を見直す」作業を怠らないそうです。照顧脚下、なんていう禅語を想起させますね。
多分、だからこそ。
常に定期的に自らを、自らの基礎を、自らの根幹を見直し続けているからこそ。
彼らの細部にはきっと「神が宿る」のではないかしらん、とか思うわけです。
「お醤油の味もトマトの味もわかってるから今更確認する必要もないしそんな暇も時間も無駄」と豪語してしまう職業料理人の細部には、きっとどうあがいても宿り得ない何かがあるのではないか、と思うわけなのです。


多分。どこの業界でも一緒だとは思うんですがね。
どんなもんなんでしょ?


あんど追記
そういえば。「調理経験1年未満の子達だけで料理が出来る環境キボンヌ」とかいう笑えない話を聞いた事が*6
そういうところだと「お作法がっちょり」な混合調味料と「おまじないの連続」が不可避なんですかねぇ…
ただ。そも「ンな状況がある業界構造」自体が根本的に -検閲削除- な気がするのですが orz

*1:隠されたお題は各自考えてみましょう B-p

*2:最近、意味もなく好きなフレーズですねぇ

*3:フレームワーク/デザパタ/オブジェクト指向/その他

*4:これもまた懐かしいフレーズだこと

*5:書式/手順/定型的文/手法/デザパタ/RDB/その他

*6:確か…「1年生の群れで片付けるためのjavaフレームワーク」がどうとか。「javaは教えて欲しいけどオブジェクト指向は教えるな」とか…なんかいろいろ、忌まわしい「言葉の固まり」は聞いた記憶がありますねぇそんな記憶失いたいのですが