がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

当たり前すぎて意味を失念していない?

温故知新


技術を学ぶ上で、これほどに優れた言葉はなかなか見つからないと思う。
温故知新とは「歴史・思想・古典など昔のことをよく調べ研究し、そこから新しい知識や見解を得ること」。
いつもいつも、勉強の場では言うのだけれども。


どんな技術も。基本的には

  • その技術がないことによって困る「何か」があり
  • その「何か」への解決さくとしてその技術の原型が生まれ
  • その後、多くの人が改良したり改悪したり剪定したり剪定しちゃったりして

現在の技術になるです。
つまり、その技術を知るためには「困っていた“何か”」を知り、それがどのように生まれ、育ったかという「歴史」と、その歴史の背景にある「思想」が不可欠なのです。


新しいものの表層を追いかけて振り回されるのって、疲れませんか?
一度腰をすえて、ちゃんと過去を振り返ってみませんか?
そうしたら、きっと未来って「過去の延長線上にあること」がよくわかりますから。

理想とまでは言わんが…

かなりいい線いってるなぁなお話。
技術者をうまく管理する7つのコツ
http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20366900,00.htm

  • 仕事で必要なツールは与えよ
  • スキルを身につけさせ、学ぶ機会を与えよ
  • 活躍できる職場環境を作れ
  • 仕事に必要な情報は必要とするだけ与えよ
  • チームを組織の政治的な問題から守れ
  • 各メンバにチームの一員であることを自覚させよ
  • 問題や不安に対応しなければならない場合には協力せよ

うわぁこんな管理ならされてみてぇ orz
こんな管理されちゃったらい、おいちゃんものすごくがんばっちゃうよ?

自由は多分双方向

直近には、via http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080217.html#p01 で、例えばnwitterとかmixilaboとか。最近書いた http://d.hatena.ne.jp/gallu/20080201/p1 のあたりも間接的にはネタ元になってるなぁ。
なんていうのか…「ぼくはよかれと思ったけど」とか「別にいいじゃん」とかいう類の発想に付きまとう果てしない無責任さに、時々色々と当惑することがあるです。
多分。その発言の裏に見える「ぼくは良かれと思ったからやっていいけどあんたの良かれと思って発言するぼくを否定する発言はだめ」っていう意識が嫌なんだろうなぁと思う。
言い方を変えると「ぼくの自由はぼくがいいと思ったんだから認めて欲しいけどあなたの自由はぼくが嫌なものについては認めません」的な部分。


ヴァンパイア:ザ・マスカレードっちゅ〜ゲームがあるです。TRPGです。
簡単に書くと「舞台現代。みんなはヴァンパイアとして生きてください」って感じなのですが。そのなかのclan(氏族:ファンタジーゲームでいう職業とかクラスとかに近いかな)に、Caitif:ケイティフ、というclan(正しくは clanless)があるです。
キャラクタ作成において結構自由度が高いので(具体的には、dicipline:訓え と呼ばれる特殊能力の選択の幅がめっさ広い)、時々好まれるのですが。
ええ彼らは自由です。ヴァンパイア社会(正確には Camarilla:カマリリャ と呼ばれる、相互援助団体)に属していないので、そこの面倒なルールを守らない自由があります。
そうして彼らは、そのルールのひとつである「同属を殺してはいけない」というルールからも自由です。
つまり、他者を殺す自由とともに、他者に殺される自由を有しています。本位不本意によらず。


別に。アンセキュアなWebアプリを作成することを推奨した上で「いいんだよセキュリティなんて考えなくて」もという自由がないわけではないと思います(刑法にひっかかるかどうかは寡黙にして存じ上げません)。
ただ、それは例えば「それによって損害をこうむった人から訴えられる自由」とか「Webで散々悪口をかかれる自由」とかその他さまざまな「デメリット的自由」が包括されているものなのではないでしょうか?
より厳密には。「無責任な発言をした当人」ではなくて「その発言を不幸にも信じてしまった人」が得る自由なのですが。
例えば…端的な例としては。XOOPSで、あまりにもシンプルなセキュリティホールのためにspamの踏み台になってしまった事例とかが好例でしょうか? botにやられて「結果的にsmapをばら撒く踏み台になってる」PC達とか。
mixiの日記で馬鹿こいた人たちとか連想するのもわかりやすいかも。言いたい放題に言う自由に付随してきた、例えば学校を事実上やめさせられる自由とかもその類かと。


ネットにつなげてWebサービスとして立ち上げた時点で一定レベル「公になっている」ことを意識しなきゃいけないと思うんだけど。
…そも「公(おおやけ)」って意識とかそのあたりが欠落してたらどうしよう…とか、不安に思わないでもないです。正直。
でも。自分にとっては「閉じた環境」だとしても。多くの人が訪れうる環境は多分公で、そこで馬鹿なことをやると、それなりに「手痛い自由」が付与されてくるです。


自由ってそんなもんだと思うんだけどなぁ。どうなんでしょ?