えと…元ネタは神秘学系なのですが。
さらりと書くと。碑文 エメラルドタブレット(Emerald Tablet : Tabula Smaragdina)に記されてる基本原理
下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし*1
からなのですが。
これは神秘学なので、マクロコスモとミクロコスモとの対応を言っているのですが。
多分、もうちょっと身近なものでも普通に「AのものはBのもののごとく」という照応が多々存在しているです。
かくして、こんながるパタが出てくるです。
- 照応
いやまぁそのまんまなんですがね。
例えば。
関数間、あるいはclass間を「粗結合にする」理由だのメリットだのは今更「いふべきにもあらず*2」なのですが。
だとするのなら。設計において各機能を「粗結合にする」のもインフラにおいてそれぞれを「粗結合にする」のも、技術者や営業さんどうしとのつながりを「粗結合にする」のも、料理のレシピを一度分解して各工程ごとに「粗結合にする」のも、同じように「いふべきにもあらず」なはずです。
可能な限り手を加えないというのは、言い方を変えると「驚くほどにシンプルに」作るのは、料理においてもプログラミングにおいても一緒です。
この辺をきっちりと突き詰めて追求していくと。「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉の意味が、骨の髄まで理解できるようになるです(余談ですが。なので最近、最低でも人間は「二系統以上の、全く異なる系統でそれぞれ秀でている必要がある」ように感じています)。
おそらくまず「学び方」と「骨のつかみ方」を知る事が肝要なのだろうなぁ、と。
自分の「狭くて小さくてそのくせ精度の荒い」物差しで全てを図るのは当然ながら危険ですが。
自らの学びの中から得られた、先人賢人の言葉を「複数のルート」から取り寄せて検討してみると。
それは、恐ろしく「照応」しているものだったりします。
あなたは。ちゃんと自らの学びを「照応」できていますか?