がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

どう教えよう? どうはかろう?

ちと思考実験に近い内容です。近いっていうか思考実験そのものなのですが。
なので、いつにもまして散らかりながら。…ちと小見出し入りでいきまふ。

で、実際どんな弊害があるの?

元ネタ
http://togetter.com/li/68853
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51550112.html


おいちゃんは端的に「どっちでもえぇやん」派。
NG派の人の、比較的真っ当だと思われるあたりの反論として「かける数とかけられる数は意味が違うし、それによって後で理解が困難になってくるから云々」というあたり、だと思っているのですが。
えと…実際にそれで弊害あるんでしょうか? あったんでしょうか?
「かける数とかけられる数の混同による混乱と理解不能」がもし発生するのだとしたら*1、それが発生した時点で教えてあげればいいんじゃないかなぁ、としか思えない。


さらりと本音をぶっちゃけると。
「自分たちが"こうだ"と思っている規則」とずれているのが気持ち悪い、ってのが根っこにあって。
それを相手(今回の場合生徒)に押し付けるために理由を付けてるんじゃないか? って、正直思えてしまうんですね。

類似ネタ

擁護派のやり取りを見てふと思い出したのが、以前に…OKWaveさんだったかな? で見たやり取り。
確か、上述とある意味にている構図で。
質問者が「学校の試験でバツを食らったけどどうしても受け入れられない」という類の話。
選択肢がa,b,c,dとあったらしいのですが、選択肢はあっていたのにバツを食らって。理由が「問題文にはブロック体でアルファベットが書いてあるのに、あなたのbはブロック体ではなくて筆記体で書かれていたからダメ」とかいう類の話。
ここでもやっぱり、いわゆる「教員に属する」方々が擁護していて、曰く「そーゆーもの」なんだそうで。「問題ではちゃんと選択肢がブロック体で書かれているのに、それを筆記体で書くのはおかしい」と。
だとすると。ゴシック体で書いてあるところに明朝体で答え書いたらやっぱりダメなんですかねぇ?
いやまぁ「デザインの学校」でならありそうですが(笑

もうひとつ

以前にちょいとおいちゃんのほうでコメントを書かせていただいたネタ。
http://d.hatena.ne.jp/tonotonotono/20101017/1287268856
興味深いなぁと思ったのが、Blog主さんの以下の発言(コメントんところにありやす)。

冷静に見直すと確かにその通りだ!!
答えだけでなくて、前提も既におかしかったんだと目からウロコ。

前提条件を「疑ってかかる」のはおいちゃん的には基本てちうか本能なのですが。
そういえば「前提条件は前提条件として無条件に受け入れる」人って多かったなぁ、ってのは、もっぱらTRPGで現代近未来の陰謀モノ系をやってた時の感想。

で、ちょっと掘り込んだ考察

以前に、塾講師の経験のある友人にも話をしていたのですが。
えと…


現実は、あるいは少なくとも「うちらがお仕事として立ち向かう現実」は。
「唯一無二の正解」どころか「とりあえず正解らしきもの」ですら、あるかどうか限りなく疑わしくて、という身もふたもない混沌が広がってます。


ただ一方で、彼も以前にそうでしたし、思い返すに「ある程度真っ当な学歴を持っている」人ほどその傾向が強いように感じるのですが…意識のどこかで「きちんと正解が存在する(しかも大抵の場合、唯一無二の絶対解を想定している)」ことを前提に思考しているように見受けられるです。
若い子にも比較的増えたような気がしますねぇ。
自分であれこれ考察したりする前に「相手に正解を聞き出そうとする」姿勢。たぶんその根っこにあるのは「正解がある」という大前提を、無意識の中で持っていること。
これが中途半端にマガると「世界に一つだけの花」が咲いてきちゃう。んと…「絶対解」はないけど「明らかな間違い」はあるから。まぁこれは余談ですが。


で。
この「無意識に正解があると想定している」ってあたりが、初手の、いくつかの「散らかった話」につながっていくです。


たぶん、教師とかいう類の方のほとんどは「正解がないことを前提にした」教育を、正直、まったくといっていいほどやってくださっていなくて*2
かくして、問題に対して「問題提出者が想定した以外の答えはNG」、もちろん「問題や前提条件に疑問をさしはさむなんてことはあってはならない」と。
で、そんな教師が「自分の考えに近しい子ほど優遇する」ような教え方っていうかぶっちゃけ調教を延々やっていれば、そりゃまぁ育たないだろうなぁ、と。生徒が学ぶのは「混沌たる現実と格闘して自分なりの答えを切り出していく」スキルじゃなくて「教師が"よし"と考えている正解を、文脈や顔色や空気から読み取る」スキルなんだし。


ただ一方で、現実は果てしなく混沌としているので。
「"正解なんてないかもしれないところ"が基点になり」「前提は疑ってかかる必要があり」「それでも一定の"答え"を、場合によっては複数導き出す必要がある」「前に、本当にそれは答えを出すべき問いなのか? についてまずは考察する必要がある」わけです。
つまり。「答えを出すべき問題」が、実は「答えを出しちゃいけない」かもしれない可能性さえあるわけですね。前提条件木っ端微塵(笑


「顔色と文脈と空気を読む」ことが出来れば上位にいることができた世界観から一転「自力で答えらしきものを切り出す必要がある」世界。
そりゃ戸惑いもしますわな。

とりあえずの〆と、次に向けてのタネ

いわゆる官僚系とか大企業系とかに向いている性質の方に多いのですが。
彼らの前提には「規則と正解」があって。なので「規則に沿う形で唯一無二の正解を選択し続ける」のが、彼らにとっては最上の状態です。
近しいと思うのが、特にベンチャー系の、経営層の方々で(余談…でもないのですが。警察/検察はたぶんこっち側な気がしますねぇ)。前述の方々が「選択肢とプロセスを重視する」のに対して、経営層の方々は「結果(の一部)を珍重する」傾向にあるですね。
微妙に反動のような気もするのですが。前者が「プロセス重視」なのに対して、後者は「結果重視」というところでしょうか。


えと…例題。
例えば「(何かを売って)売り上げを伸ばし、結果として利益を出す」という目的を設置してみます。


前述の方々は「前例に沿ったやり方で」「マニュアルどおりに正しく売り歩くこと」が重視されます。
重視しているのは「何かを売って」の部分。大抵の場合「正しい売り方」というのが、暗示明示問わず、存在します。
正しくマニュアルどおりにやった結果として「売り上げが上がらない」場合、大抵は「どこか遵守しきれないところがあったであろう」と推測されます。時々「マニュアルどおりだったから責任は問わない」とかいう謎結論が、これはお役所系で見受けられます B-p
ちなみに「マニュアルに問題があったのではないか?」などという反逆な発言はトンデモハップンです。ちなみにこの辺がもうちょっと進化しますと、例えば警察とか検察とか相撲とかその他諸々の機関様の必殺技のひとつ「もみ消しによる組織防衛」に発展します。なにせ「上には逆らえないもの」ですから。進化するのはポケモンだけで十分におなかいっぱいなんですがねぇ。
幸せですか? 市民。


後述の方々は「手段は問わずに売り上げを上げろ」と檄を飛ばします。この場合「売り上げという数字が1円でも高くなること」が正義です心理です唯一にして絶対の存在価値です。
重視しているのは「売り上げを伸ばし」の部分。利益じゃないあたりがひとつのポイント。ついでに言うと「短期的売り上げ」であって、例えば信用とかそういった類の「長期的視野に基づいた利益」でもないあたりもポイント。
売り方が強引になってきたり経費を鬼のように使ったりそれがリベートだったりちょっと塀の上ぎりぎりセーフだったりアウトだったり完全にグレーですらない黒だったり…なんていう風に転げ落ちてきます。


ちょっと亜流で「利益を出す」に焦点があたると。
まずは社員や派遣や外注をボロ雑巾のように使い倒しサービス残業当たり前とか軟禁状態とか下請法違反とか過労死寸前とか寸前ぢゃもはやねぇよとか。
さらにもうちょっとえげつなく、利益が「会社」ではなくて「社長(とかそこらへん)個人」になると。会社の金を持ち逃げしたりM&Aで自分だけ利益を得たり社員を(文字通り)売り飛ばしたりだましたり給料未払いだったりあんなこんななギガスラッシュ


20代の若者が、“心のキレイ”な人を食い物にしている
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1011/12/news006.html
なんて記事を想起してしまいますねぇ、っと。


http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1011/12/news006_2.html

1カ月ほど前に会った20代後半の男性を紹介したい。
「自分は、30歳前には会社やNPOを起業したい。いまの20代や10代は心がキレイなので、賃金が低くても文句はいわない。50〜60代などオールド世代はお金など低次元のものにしがみつくが、20代は自己実現の欲求など高次元のものを求める。だから若い人は地震があれば、そこに駆けつけボランティアに力を注ぐ。社会人になっても安い賃金で不満を言わずに働く。もし不満をいったら、辞めてもらう」

これはまだボランティアベースなので、ぎりっぎり可否が分かれそうな気もするのですが。
「自社っていうか自分の利益のために」同じセリフ吐く連中も、とりあえず「まったく見聞きしたことがない」わけでもないですしねぇ B-p


閑話休題


さて。例題ですが…ぢゃぁおいちゃんは何を考えているでしょうか?
もしかすると「売らないことが一番利益が上がる」可能性だって、実はあるんですよ、っという、そこらへん。
実際問題。「思い入れはあるんだけど、死に筋だし売れば売るほど後々の経費がしゃれにならないし売らないほうがマシ」な商品ってのは存在しているのですが。でも思い入れがあると管理系の方々は「売って来〜い」となる。
そこで「それ、売らないほうがええんちゃいます?」っていう答えを、どれくらいの人が出せるのかなぁ、と。
システムなら。
どんなシステムを作るかの前に「そのシステム、本当に必要ですか?」ってのを問う能力。


現場で「本当に」必要とされている能力って、そーゆーもんなんじゃないんでしょうかねぇ? っと。

…で?

いやぢつは。
最近、資格試験について色々と考察する機会に恵まれまして。
で…考えていたですよ「どんな資格試験なら、おいちゃんが首を縦に振るのだろうか」と。特に、システムの設計と、その手前にある「ヒアリング/提案」部分。もちろんプログラミングだって一緒。


資格試験って、正直「正解がある前提」なのですが。でも現実は「正解なんてない混沌」で、っていうあたりがすでに「とことんまで乖離」してるですよ。


だとすると。
その溝を、どうやったら埋められるのかなぁ、と。
どうやれば、教えることが出来るのかなぁ、と。


あんど。
最近は「就職即戦力」とかいうのを求められるらしいのですが。ンなもんは一撃。
「社員さんで本当に"戦力"になっている人って何割ですか? あるいは戦力になっていない人は何年くらい無駄キャリア積み重ねてますか?」
だとすると。新人さんたちを「どうやって教えていくのか」っていうのは、とても大切だと思うですし。
その指針なり目標なりのひとつとしての「資格試験」であるとするなら、それはそれで有意義なんじゃないか、って思ってるですよ。


で。
なんとなく…資格試験で「最低限の底上げ」をした後は。
それこそ丁稚奉公でもしていただいて「体で覚えてもらう」しかないような気もしていますが B-p
つまり。
まずは「基礎知識」を、これは多少詰め込みでもよいのでまずはある程度覚えてもらって(忘れてていいです必要なときに思い出せりゃ)。で、たぶんここが資格試験。必要なのは「一定の点をとって合格すること」"ではなくて"「その資格試験のための勉強をすること」。つまり「合格しなくてもよい資格試験」。合格することじゃなくて、そのために学ぶそのプロセスが重要、っていう観点。
んで、その後は「実地で学習」。試験の合格なんてせいぜいが「スタートラインに立てたかどうか」ってくらいなので。
必要かつ重要なのはその先。


だとすると。
「下手に習うと 下手がうつる」なんていいますし。…師匠とのめぐり合いのご縁次第、になっちゃうんですかねぇ?

*1:この時点ですでに懐疑的。おいちゃん、ンなもん一回だって意識したことないけど、別に掛け算で混乱はとりあえずしてませんので

*2:たぶん、彼らの世界観にそもそも存在しない概念なんじゃなかろうかと思います