がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

慈悲と峻厳のアンバランスは美しくない

「技術話と魔術話の融合」とかいう、相変わらずピーキーな話を一席。
前半戦(軽く)魔術話経由、後半戦技術の実務話、その後わりあいと「どこにでも言える」ような話に流していく予定です。
予定なんで違うかもしれないけど。


のっけから魔術話で恐縮ですが。
本来的に、生命の樹で重要視されるのは「バランス」です。
つまり「createたる慈悲」と「destroyたる峻厳」は、どちらも重要なわけです。その双方の諸力がバランスよくそろってこそ、ティファレトが美しく輝こうってものです。
ただ、一般的に「創造は善」「破壊は悪」と考えられることも多く…かつ「善」と「悪」に対する真摯な考察もなく。
# いやまぁ「善のみになりたい」んなら、人間やめて天使にでもなったら? って思うのですがね B-p


このあたりから面倒が起きるわけです。
より正確には「バランスを欠いたことによる問題」が。


新しい技術を学ぶのは、非常に面白いです。
特に「難易度の高い、難しい技術」が「理解できた瞬間」のなんともいえない快感度合いは、多分、他でなかなか味わいにくいものなのではないでしょうか?(皆無とはもちろん言いませんが)
その「難しい技術」を「自在に操る瞬間」にいたっては、もしかしたら「これは取り締まり対象になるのでは?」ってなくらい、ドーパミンあたりがじゃぶんじゃぶんあふれかえっているものではなかろうかと愚考いたします。


もちろん。
それらを否定するものでは一切ないのですが。
ただ、時として「難易度の高い技術」におぼれて、例えば「技術の乱用」になってしまったり、あるいは「足元が何気なくおろそかになったり」は、していないでしょうか?
ってのが、このエントリーの眼目。


どこかで伺った伝聞なのですが「簡単なBBSを組むために、デザパタを20種類駆使して作った」なんて御仁もいらっしゃるようですが。
なかなか壮大に「ゲラゲラ笑える」笑い話ではありますが…果たしてどこまで本当の意味で「笑えるか」というと、なかなかに難しいものがあるような気がいたします。
話の本質は「道具の乱用」です。では、道具を「寸分の狂いもズレもなく適切に扱いきっている」と言い切れるだけの自信は、はたしておありでしょうか?


道具の最良の使い方は「使わないこと」だと、おいちゃんは考えております( http://d.hatena.ne.jp/gallu/20091220/p1 )。
「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える (If all you have is a hammer, everything looks like a nail.) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8C 」そうですが、実際問題として「世の中のすべてが釘」なわけではありません。…いやもしかすると世の中のすべてが「紐」である可能性はあるそうですが*1


そしてまた、一度学んでしまうと「理解したつもりになる」のが、人間の性なのかも、しれません http://d.hatena.ne.jp/gallu/20070623/p1
「理解できた瞬間、理解から遠ざかる」のが技術であり知識でありスキルであると思うのです。
かくして「その道具の真意も理解せずに理解したつもりになり」「適切であるか否かではなくて"使いたいから"道具を使い」「道具を使う快感に酔いしれて」「さらなる乱用に猪突猛進」と。


成長とは、まごう事なく「createとdestroyを繰り返す工程」である、とおいちゃんは信じております。
学んで身に着けて、身に着けたものを壊して、そのかけらを集めて更なる何かを作って、それをさらに壊して。
そんな中で「なにやろうがびくともしない、本当の芯」が見つかって、それが多分「基礎」とかって呼ばれるものなんじゃないでしょうか?


ケセドとゲブラーの間での往復。それこそがまさに「力」になるんじゃないのかなぁ、っと、さりげなく魔術的暗喩w*2


ただ、現実問題として「破壊」って難しいと思うのですよ。
適切な破壊は必要なはずなのに、暴走させるとあっという間に「分かりやすい悪」になる(ゲブラーの過剰)。
そうすると次は「破壊そのもの」に対する嫌悪感が出てきて。
創造たる慈悲のセフィラーに腰掛けてしまうと、瞬時に「怠惰」になってしまう…んだけど(ケセドの過剰)。
問題は、過剰的破壊と比較して「突っ込みにくい」ので。かくして「…まぁいいか」と、贅肉が増える方向に堕落してくです。


完璧とは「何も足せない」以上に「何も引けない」ものを指すのですが。


或いは、もうちょっと「えぐるような」話をすると。
新しい勉強や知識やスキルや、その辺の勉強って、とても面白いのですが。
一方で「今自分が持っているスキルのたな卸しと磨きこみ」って、なかなかに地味な作業で、結構なところでおろそかになってるんじゃなかろうか、って思うです。


「スキルの深広練」で展開したネタですが。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110425/p1
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110504/p1
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20111007/p1


「広げて」「深める」のはもちろん大切なのですが(そこが入り口だし)、最後の「手に馴染ませる(練達する)」というところが…なんか、わりとよく「抜け落ちてるんじゃないかなぁ?」と思って。
で…色々考察をしてみると。
その一端に「今まで"出来ている"と思っていた自分」を「壊したくない」、ようはゲブラーの諸力の欠落、ってのが、一因としてあるんじゃないかなぁ? って思ったです。


でまぁちょうど、魔術話もそろそろ「少しくらい書きたいなぁ」とか思ってたので、ちょうどよいので、ちょろり。

*1:おいちゃん的にはむしろ、世の中のすべては「クィントエッセンス」だと主張してみたいw

*2:こんだけ露骨なのを暗喩とか言うあたりが素晴らしくおこがましい B-p