がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

議論が、出来る環境と出来ない環境

ふむり…会話と議論が「できる空間」と「できない空間」があって。
「できない空間」を分析すると、少し面白いことがわかる。
端的には「相手の尊重」と「突っ込みビリティ/突っ込まれビリティ」が欠落してる感じ。そこに加えて「無謬性」とかが絡むと結構面倒(苦笑


以下、少し展開して。


ひとつは「自分と違う見解」が「異なる思想思考から出るもの」なのか「明らかな誤りがあるのか」をちゃんと区別できるかどうか。
その辺は http://d.hatena.ne.jp/gallu/20120122/p2 に少し、以前書いてみたのがある。
「自分の好みじゃない = 間違ってる」って断じちゃう人が案外にいて。しかもそれが「無考察とスキル/経験の欠落」から来た日にゃ、目も当てられない。
その辺の「自分の好みと違う」ものに対してちゃんと「話を聞く、理解をする、尊重をする」姿勢は大切。


一方で「明らかにやばいルート」ってのもあって。その場合は速やかに突っ込んだほうがいいし、突っ込まれたほうがいい。
知らなきゃ教わればいいんだし、間違えたら「突っ込んでもらってから」軌道修正すればいい。
その辺で無駄に「俺は間違ってないんだ〜」とか叫んでも、なんていうか「誰能守枯株 直待為霜鬚」って感じだ http://d.hatena.ne.jp/gallu/20100122/p2


あとはまぁ「かたくなな現状維持」。
そもそもあらゆるものは「常ならず(無常)」っていうことを断固として受け入れない。いやまぁそんなゲブラーの欠落には興味持てないなぁ http://d.hatena.ne.jp/gallu/20120119/p1
「今までこれでうまくやってきたんだ」とか主張されると、その瞬間に、対象に対する興味がうせます(苦笑


上述の2つ、あわせて「無謬性」が結構かかわってくるのかも。
もちろん知識商売として「知らない/間違えました、じゃすまない」ことって、山盛りにあるのですが(無知は、知識商売の場合"極刑もの"です B-p)。
とはいえ現実に「知らない/間違えました」は、往々にしてある話なので。
それに気づいたらとっとと学べばいいだけ、だと思う。
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」って言うでしょ?
頭下げて。「ごめんなさい」をしつつ教えを請う。これが一番楽だし早いと思うんだけどなぁ?


議論が出来ない(しにくい)空間って、上述の辺りでひずみがあるから、結果として「面倒だしなぁ別に俺が苦労するわけぢゃねぇしいいやほっとこう」になってしまう。
話しても「聞かない」or「過剰反応」だとねぇ…ぶっちゃけ、面倒(苦笑


逆に議論しやすいところは、まぁ方々で質問と突込みがあふれてる(笑
「なんで?」「自分はこう思ってるんだけど」「こんなことがあったけど、どうなの?」などなど。


知識商売をしている身としては。
できるだけ、議論を重ねることができる環境で、たくさんの学びを体験したいなぁ、ってしみじみと思うざんす。