がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

分からんでもないが…温いと思う

元ネタは以下の2つ。


好きなことで食べていける大人になるために必要なこと
http://www.forgreenpeas.net/%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81/
「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。
http://yorikanekeiichi.com/education-6916.html


一言で片付けると「好きな事でもいいけど稼ぐことは意識しようね」ってのと「"必要に迫られる"程度に認識と状況把握が出来る程度の学習は必要だよねぇ」ってあたり。


まずこっち。
http://www.forgreenpeas.net/%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81/

夫と私は40代になって
自分の好きなことで食べていくことは
本当に幸せなことだということを知った。


「自分の好きなことで他の人の役に立つ」ということで
この上ない幸せを感じるんだなということも知った。


自分の好きなことで食べていけるようになるためには
時間がかかるということも分かった。


もし、これらのことをもっと早くに知っていたら。
例えば、時間がたっぷりある、親に養ってもらっている
中学、高校、大学生の時に
わき目もふらずに自分の好きな事に集中していたら
きっと親元離れる18歳の頃には
自分の好きなことで食べていけるようになっているのではないか。
と本当に真剣に思う

ん…微妙。
とりあえず、2軸あって「好きな事 / 好きじゃ無い事」「食える / 食えない」。
「好きな事で食える」は、賛否あるの知ってるけど、おいちゃんも「よいよねぇ」とは思う。
「好きじゃ無い事で食えない」は色々と全滅なので以下略。
問題は「好きじゃ無い事で食える」vs「好きな事で食えない」。
あなたなら、どっちを選ぶ?
子供に、どっちを選ばせる?


例えば

子供達には、自分の好きなことで食べていけるようになって欲しい。

ってのは、正直「危険」の可能性を孕んでると思う。
その「好きな事」で、食えるようになるか分からないから。

「好き」が何か分からない場合もあると思う。
それでも一生懸命探すのだ。
絶対何かあるはずだ。

これも微妙。
おいちゃんは割と散らかすように趣味を持っているので「好きがいくつかある」人なのだが。
「特にその辺がない」っていう人もいて、彼らが「見つけられてないだけ」なのか「本当に、特に好きというものがない」のかが分からない。
ただ「ある"はず"」というのは、とても危険だなぁと思う。

「好き」が分かるのが大人になればなるほど
好きなことで食べていけるようになることの
ハードルが高くなるかもしれない。
時間が限られてくるから。
そしたら人一倍頑張ればいい。

ん…「人一倍頑張る」程度でどうにかなるなら、誰も苦労をしない。
人一倍どころか人十倍頑張っても「なお」どうにもならない現実なんて、特売セールで投げ売りできるくらい転がってる。
努力しなきゃ0ってのはYes。
でも「努力しても報われるとは限らない」ってのを、忘れちゃいけない。「正しく努力したら正しく報われる」のはゲームと漫画と小説とアニメだけのお話で、あれは全て「フィクション」なんだから。

読み書きと算数の基本的なことさえ分かっていれば
さほど困ることは無い。

この辺が多分突っ込みどころ満載で。
まず「基本的ってどこまで?」ってのと、困らないってのが「本当に困らないのか」「困っている事に、或いは知ることによって楽になるって事に、気づいてすらいないのか」が、判断の難しいところ。

学校で学んだことのほとんどは実生活で役に立っていない。
何かの役に立つかもしれないが、
そこに血眼になって頑張るのは
時間とエネルギーの無駄だと思う。
人生はそんなことに無駄に使うほど長くはない。
時間は有効に使いたいものだ。

無駄? なにそれ?
活かせてないだけじゃなくて?

一番してはいけないと思うのが、
子供が好きなことがあるのに、
「そんなことでは食べていけない」
といって、学校の勉強を一生懸命頑張らせて
良い成績を取るように促すこと。

かくして。
子供が「好きな事を見つけた」のなら、それを食い止めるのは、確かにもったいないかもしれない。
ただ「好きなモノがなければ見つけろ、勉強は無駄だ」までいっちゃうと、少々、如何なものかなぁ、と。


で、当初の質問に戻る。
「好きじゃ無い事で食える」vs「好きな事で食えない」。
どっち?
で…端的に言うと、これはほぼ「好きじゃ無い事で食える」1択。
「食えない」んなら「死ぬ」しかないんだから、「好きな事で食えない」になったら死ぬしかないから選択は不可能なので。


だとすると。
好きな事がある子供に言う事って「好きな事をやりな」じゃなくて「好きな事で飯を食うには、金を稼ぐにはどうするかを必死に考えな」なんじゃないかなぁ?


金が無いのは首がないの一緒や!

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

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金だけが大事とは言わないけど、金が無いと色々と回らないので。
そこを押さえずに「好きな事を〜」とか言われても、ぶっちゃけ、物凄く空々しく感じる。


で、もう一つのほうは、この辺から。
http://yorikanekeiichi.com/education-6916.html


ちなみに

私は、「子どものころ、死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」なんて人に、会った経験がありません。
みなさんは、いかがですか? 会った経験がありますか。
中には存在するのかもしれませんが、多数派ではないはずです。

これ、割とポピュラーな詭弁術の一つなんで注意。
書いた本人、多分意識してないんだろうけど、非常によくない「印象操作用」の論法です。


で…

人間、必要に迫られれば、学ぶんです。

本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。

この辺が、大変に違和感。
で…考えたのだけれども、恐らく
・この方針でよい知識エリア
・この方針ではまずい知識エリア
があるんじゃないかなぁ、と考えています。


例えば「基本的な文字の読み書きや簡単な四則演算」については。
「周りが出来ているのに自分が出来ないから恥ずかしかったり困ったり」っていう状況を前提にすると、まぁどこかのタイミングで「興味をもつんじゃないか」と推測は出来るような気がするんですね(反証一杯ありそうなので、興味があるんである人はコメントに書いてくださいませ)。
ここで「じゃぁ全員この教育指針にして全員が出来なかったら誰も興味持たねぇんぢゃねぇか?」とかいう疑問が出てきますがまぁ正直「興味が湧いてから学ばせる」って少数派だと思われるので、オミット。


ただ…例えばエンジニアの「アルゴリズム」なんかでよく見かけるのですが。
人間、知識がないとそれはそれで「いらん工夫をして」どうにかしちゃうんですね。
そうすると「線形探索で全てをサーチする」とかやり出して頑張ったり、なんか「どうなのよ?」的な力業でどうにかしちゃって、そこで終わっちゃう。
或いは「物凄く微妙な」発見や発明をするんだけど、それって「ちょっと学習したらもっと洗練された手法が既知なんだけど…」だったり。


車輪の再発明はするな


っていうでしょ?
或いは


巨人の肩の上に乗る


なんて言うでしょ?
でも、学習をしないとそもそも「必要であると認識するだけの認識力」がそもそも身につかなかったり。
近しいところで、きちんと学習を意識的にしていないと「学習の仕方」が分からないとかいう状況が以下略。


ちなみに「学び方を理解していない」ってのは、体感的には「8割」くらいの人が理解していないんで、割と真面目に真摯に、一度、内省してみるとよいと思われます。


その辺を色々考えると。
「必要になってから学ぶ」はよいのですが、その前に「必要である事を認識出来る程度の基礎学力はたたき込む」ほうが、圧倒的に直球なアプローチだと思うんですがどうなんですかねぇ?


あと、ちょいと暴言。

こういう我が子の個性を、なるべく殺さないようにいきたいなーと、未熟な親ながら思っている次第です。

個人的に「世界で一つだけの花」とかいう楽曲の歌詞が大変に「お好まない」のですが。
いや別に「役に立たないっていうかむしろ害悪とすら言えるような個性」を大切にして「食えなくなる」のも個人の自由だとは思うのですが。
それを推奨して我が子の自我を「これ以上ないほど肥大化させて育てる」ってのも、少々「生存戦略を前提にした愛情」からはかけ離れた行為なんじゃないかなぁ、とは思うわけなのですよ。


いやなんでかってぇと「糞汚でメンテナンス性皆無なソースコード」とかを作成いただいて「これが自分の個性です (`・ω・´)キリッ」とか言われた過去があるからなんですがね B-p


個性を否定はしないけど、ある程度「周囲と折り合いを付けたりする」感覚とかそれに必要な基本的なベースとかって、やっぱり必要なんじゃないかなぁ、と思うわけなんですね。
植物だって、ある程度の「間引き」やら「剪定」やらってのがないとかえって全体が死ぬわけで。
「個性を大切にして、他の人とは違う軸で評価してください私はそこで食っていくんです」は良いんだけど、「他の人と違う軸で食う」んなら、獣道の開拓からstartになるんで、だとすると普通の人以上に「色々な事」が出来る必要があるわけで、そのためには「大量の学習」が必要で、って事はその学習の基礎になる「基礎学力」はとっとと身につけておく必要が、それこそ、あるわけなんですよねぇ、とか。


「自由に」とか「個性が」とか「好きな事が」とかなんか耳と目に優しい単語が並んではいるのですが。
それって単に「現実の厳しさから目を背けて逃避してるだけなんじゃねぇかなぁ?」とか思ってみたり。


そんなこんなを考えてみたので、ちと書いてみました。
とりあえず「好きな事やる」でも良いけど、そこで「食う」ためには、多分「人のn倍」の努力と、努力をするために必要な学力とか知識とかその他諸々が、潤沢に必要になるので。
好きな事をやらせるんならなおのこと「基礎学力はしっかりたたき込んどけ」って思うんですよねぇ。


…最近、おいちゃんが、その辺の「基礎学力」とか「基礎教養」とかで、山盛りに後悔してるから orz