がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

学ぶ過程としての一考

守破離」という、まるで呪文のような三つの漢字の羅列。「学ぶ」という概念を考える上で、素晴らしい考え方だと思います。
守とは「守る」。指導者からの教えを忠実に守り、なぞらえる過程。ここで一番基本的なところを覚えます。
破とは「破る」。今まで守っていたものをあえて破ることで、守っているだけでは見えなかったものを捉え始めます。
離とは「離れる」。ここで初めて師と一定の距離をあけ、自らの独自の境地を作り上げていく。守も破もまだこれらは「師」に囚われた状態であるが、離で初めて自由を得る。


ちなみに、私流「破と離の違い」は。
破は「師の教えを破る」、つまりまだまだ師の影響下にあって「試していない方向性を試す」ことであるのに対して、離は「師がどうこうというものに囚われず、自らの進むべき道を模索する」点にあるように思います。
で。離の結果「師とまったく同じ路線」になったり「ちょっと違う」或いは「全然違う路線になる」のはいずれもありかと。熟考した上での方向性であれば、たとえ正反対だとしても、師弟の間の会話はきっと有意義であろうかと思います。


翻って自分の業界の状況を見るに………
守の欠落。そもそもきちんと教えていないし、学ぼうとしていない。
破の欠落。得た知識を守ることに必死で破ろうとしないし、自分の教えを破ることを神経質なまでに嫌がり批判する。
守破が出来てないのに離なんて出来るわけもなし。


………くらい。くらすぎる(苦笑
せめてなんかもうちょっと明かりを(笑


学ぶ側も教える側も。守破離という考え方をもうちょっと真剣に考えて欲しいなぁって思う。
ちなみに、SE的には破離が特に大切だと思う。従来言われている知識が「本当に正しいのか」「別手段はないのか」を考えるためには最低でも破が必須だし。で、守破そろって初めて「幅の広い見方」が出来るわけで。
そうして「手持ちのカードが縦横無尽に増えてから」離によって「その人なりのスタイルが確立できて」初めてプロなんじゃないかって思う。


離によって「自分」を得て。そこから師と対等に会話することが、多分師に対する最大の恩返しなんじゃないんでしょうか?