がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

「属人性の排除」という考え方

よくこの手の話は出てくるのですが。最近思うに、同じ言葉を使って「全然違う2lineの話が」流れているんじゃないかなぁと思ってます。
なので。ちと、その2lineの話を織り交ぜつつ、どこに落とすか…なんていう考察を少々。


まず。こなれていない(或いはもうちょっと悪意のある)現場では、様々な仕事が「属人性にまみれている」事があります(ありますっていうか大抵…)。
このタスクは**さんじゃないとわからない。このプログラムは辞めた人が作ったからわからない。この作業は○○さんしか知らない。etc etc...
この状況には、単純且つ致命的なリスクがあります。つまり「その1人が何らかの事情で仕事に関われなくなった時点で、なにがしかが散逸する」事です。そのなにがしかが「ビジネスそのもの」だったりすることが少なくないあたりが…まぁ色々とドキドキです。
この状況が「こなれていない」現場で発生する理由は簡単で、知識その他の伝達引き継ぎ教育などが全く出来ていない、のが原因です。
これが「悪意のある」状況になると「自分しかできないから少々何やっても以下略」となります。仕事の私有化ですね。


まぁ大して有難くない状況なのは目に見えてます。
そのため、多くの場合「属人性の排除」という考え方がなされます。
が、それはどこまでもtrueなのでしょうか?


一般的に。属人性の排除の最たる部分としては「誰でも出来る」というのが上げられます。
つまり「誰がやっても同じようなものが作れる」。或いはそのような手順手段手法を用意する、というものです。
まぁぶっちゃけ「無理」ですンなもの。真っ向から否定してみますが。
時々「標準プロセスを正しく定義することによって云々」いう話がありますが。
いつぞやの話ではありませんが「マニュアルがあったからと言って、その道ン十年のベテランと同じように天ぷらを揚げられるわけでは、決してない」わけです。


さて問題です。一方で「属人性は問題だ」言うてる割に「排除できるわけないじゃん」とか真っ向から対立した話を書いてます。
さてはてどうしたものか…ってほどのモンでもなくて。
実は、ちゃんと落としどころが存在します。


一つ目は。誰でも、の「誰でも」とは「適切な訓練がなされている人間であれば」。言い換えると「ちゃんと知識とスキルがあれば」「きちんとトレーニングされていれば」。
希に、属人性の排除をそのまま「ノースキルノー知識でOK」とか読み替える人がいますが、とんでもハップン歩いて10分でございます。
知識とスキルが有る事は常に大前提。「属人性の排除」を自らの怠惰の言い訳に使ってはいけません。
ただ、適切に知識なりスキルなりが(多少足りなくてもそこは教育で補う)あれば、ちゃんと伝達でき、作業を渡せる事。これは大切です。


もう一つは「同じ作業が出来るかはともかく、何をやっているかが理解できる(伝わっている)程度には属人性が排除されている事」。
そのシステムを「0から設計する」事が難しいとしても、「設計されたものを理解する」事は、作るよりは簡単であったりする事なんてのは多々あります。
つまり「ちゃんと、知識レベルさえ足りていれば理解できる程度には知識が共有されている事」。


多分。落としどころはこのあたりなのではないでしょうか?


でまぁ…ふと思い出すのですが。
食器、ってのがあります。
で、食器のある角度からの分類方法として、共用器、銘々器、属人器という区分が存在します。大皿と取り皿と自分の茶碗、ってな感じでしょうか。
おそらく仕事というのは。元々は共用器に盛りつけられていて、それを、一時的に各個命じられた人が銘々器に盛りつけていただく(仕事をする)ものなんじゃないでしょうか?
ただ、そうは言ってもいわゆる「高度な知識や技術が必要なもの」があり、そういったものだけが、属人器に盛りつけられていく、のではないでしょうか。


一方で、なんでも属人器に盛りつけようとするはしたない人がいまして、それはそれで困るのですが( http://d.hatena.ne.jp/gallu/20070702/p1 とか)。
別の一方で「取り皿さえない全部盛りで全員問題ない」とか思われるのも、それはそれで困るわけでして。
そのあたりをもう少し、バランス取れるといいなぁとか思ってみたりはするのですが。


とりあえず。
全ての仕事は最低限「スキルレベルが似てる人がいる事を前提に全て引き継げる」程度には属人性を排除したいものです。
…そうしないと、次の何かが出来ないぢゃないですかw