がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

学び方:とりあえず総集編

とりあえず「他人から学ぶ気がない」「人の意見は聞かない」「俺はオレ流でやるんだ」とかいう論外は放置するとしまして*1
ちなみになんで論外かってぇと…この論語が一番早い。
「思いて学ばざれば即ち殆うし」。
学ぶというのは、今までの、それこそン千年ン万年の「様々な偉大なる方々の切り開いた英知の足跡を頂戴する」という行為ですので。
あなた1人のわずか数年数十年程度が、ン千年ン万年の「偉大なる方々の考察の全て」に比肩しうると本気で思ってるんならそれはそれでいいんじゃないでしょうか?


閑話休題


学び方で、特に若い方*2が間違えやすいのが「すぐに反発/反論する」。
それ以外ですと「答えだけを要求する」「教わってあげるという尊大な態度」「何も考えずに唯々諾々と従う」あたり。
端的に、教える方が面倒になって疲弊します。
では。「学ぶ」とはどのようにするのがよいのでしょうか? …という問いに対する、以下、一つの提案です。


学ぶ基本はまず「守破離」。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20060928/p1
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20060309/p1


学ぶとは本来「まねぶ」。まず「師のまねを存分にしたおす」事がstartです。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20080226/p1
芸術には。「本歌取り」という美しい単語も存在しますしね。
なお。ただ「まねぶ」だけでは駄目なのがまた妙で。
常に心の中で「なぜこうするのか?」「なぜ違う方法ではだめなのか」を思うこと。表には出さずに。
故に、例えば論語においては「学びて思わざれば則ち罔し」と言われます。上にある「思いて学ばざれば即ち殆うし」と対になる言葉です。
(…しみじみ思うのですが。昔(…でもないか。国によっては未だに存在しますし)の徒弟制度の類は非常によく出来ていたように思います。)


そうして。
じゅうぶんに「まねんだ」あと。心で「破」を想い、その「破」を師に問いかける術を学ぶあたりからが「学問」。学問とはすなわち「問い方を学ぶ」事でございます。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20080226/p1 (二度目)
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20080628/p1
こんな台詞もありましたね。早すぎる「破」は色々と台無しにしてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20081119/p1


そうして適切にして吟味された鋭い質問を1つ2つ師につきつけつつ、そこで初めて実践としての「破」を行い、その結果をまた問う。
その繰り返しの中で何かが見えてきたら、多分それが「離」の始まりです。


自らの型を作るのは。つまり「俺らしさ あたしらしさ」「オレ流」とか騒ぎ出すのは。最低でもここに至ってからです。


概ね。
いわゆる「師」と呼ぶに足る人は、こういった流れを経て、それなりに相応に、様々なものを蓄積しています。
師に対する敬意というのは多分、そういった「今までのサムシング」に対する敬意なのではないでしょうか。
言い方を変えると。
今までのサムシングがある、或いはそれを十二分に知っている人は、相手にそれがある事がわかるから「師」に敬意を払い。
今までのサムシングがない初学の人たちは、そのサムシングの凄さ偉大さがわからないから「師」に敬意を払えないというか払う理由がわからない。


なによりもまず。
「学び方」を学びましょう。「学び方」がわかれば、様々な事を学びやすくなります。
一方で「学び方を知らない」のなら…どんなにあがこうとも、よく見て「非常に非効率な学習」になるでしょうし、知っているかぎりではそも「まともな学習にすらならない」ケースが散見されるように思われます。


本来なら。いわゆる「義務教育」で教えて欲しいような内容なんですがねぇ。
残念ながら、日本の義務教育ってそういうものではないようなので。

*1:いるんですねぇこういう人が時々

*2:っていうおいちゃんだってまだ若いやい。ヘキサならまだ二十代だw