gallu’s blog

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

金より銀のほうが好みだなぁ

「黄金律」ってのがあるですが、その辺についてのおいちゃんの見解。
端的には「"やるな"はよいと思うが"やれ"は微妙」って思ってるです。


まず「黄金律」について。
どうも2種類あるらしく、ざっくりと「肯定系:自分がやって欲しいことを人に施しなさい」と「否定形:自分がやって欲しくないことは人に施してはいけません」があるようです。
両方まとめて「黄金律」って呼ぶところもあれば、前者を「黄金律」、後者を「銀の教訓」って呼称するところもあるようで。
この文章では、混ぜると面倒なので「金銀」を分けていきます。


銀の教訓のほうは、比較的腑に落ちるです。
もちろん問題として「色々な動きが鈍くなる可能性」がわからないではないのですが。


一方で「黄金律」のほうは、気をつけないとっていうか下手をすると「小さな親切 余計なお世話」状態になるです。
あるいは「善人がもっともたちが悪い」状態。


シモ系のお話で恐縮ですが…まぁ一番わかりやすいので。
えと…「Aさん」と「Bさん」を仮定します。
Aさんが、Bさんに「何かをしてあげたい」と、黄金律を発動させてみましょう。
Aさんは「超ディープな腐女子 or ハード系ガチホモ」です。Aさんにとって「心に響くような」ハードでディープなエロビデオがあったので「これはぜひBさんに見せてあげよう」と思いました。
一方でBさんは「こってこての女好き」だとします。
…たぶん、ただの拷問です(笑


現実問題、普通に考えて「やめろ」って思うのですが。
黄金律的にはこれって「積極的に推奨されてる行動」なんですよね。
どうするんですかねぇ間違ってAさんの性癖が「屈強な男に強姦されたい」系だったら。「Bさんのために"無理やり強姦される"シチュエーションを整えてあげると、きっと喜ばれるに違いない」とか。しゃれになりませんがな(…男同士って強姦罪成り立つのかしらん?)。
あまつさえ、もし万が一「ハードなスカトロ系なら」ダマレ !!(((((;`Д´)≡⊃)`Д)、;'.・ -検閲削除-。


もうちょっと穏当な例でいくと…あぁ、メールアドレスの話があったなぁ。
おいちゃんはぶっちゃけ比較的あちこちにメアドをさらしてるです。場所によっては「特にひねりも無く」。
で、これはおいちゃんが「ビジネスをやっている関係上、spamが鬼のように増えたとしても、spamではない1通のメールが欲しいから」やっていることで、これは「おいちゃんの利」にはかなってるです。
ただ正直これって「大分特殊な事情」なので。一般の人には、間違ってもお勧めできないです。


結局のところ。
生まれがあって育ちがあって過去があって背景があって周囲があって。その諸々によって、あらゆる「現象」は、各個人ごとに「好ましかったり好ましくなかったり」するです。
それを、自分の価値観ベースで「他人に自分の価値観を押し付けた」上で「ほら俺がうれしいことだからお前もうれしいはずだ ( ̄ー ̄)どや」という思考に至るのは…ちょっとおいちゃんの好みではないかなぁ、と。


でも。
軽く「黄金律」でググると…結構「推奨系」も多いんですよねぇ。


http://ebible.web.fc2.com/fukuin02.htm

聖書の教えは常に前向き、肯定的、積極的、このような理由から、その言葉を求めて ビジネスの世界では聖書を座右の書としている人がおおいのです。加えて言うなら、聖書の前向き、積極的な考えは、ビジネスの世界を中心に行動のモチベ−ション=動機づけに大いに用いられています。仕事をするうえで元気が出、勇気が出、前にすすめるからです。


http://jiyu-ni-ikiru.seesaa.net/article/186588109.html

もし自分がある経験をしたいなら、その経験を他人にさせなさい。


http://www.icc.ac.jp/kiarakan/seisho/seisho1008.html

そんな黄金律の教えに、似て非なる言葉に次のような言葉があります。「己の欲せざることを人に施すなかれ」(論語)。すなわち、自分のして欲しくないことを他人(ひと)にしてはいけない、という教えです。この類の教えを総称して、“銀の教訓”と言うそうですが、イエスの“黄金律”と一体どこが違うのでしょうか。それは一言で言ってしまえば、その受動的か能動性か、消極的か積極性かの違いではないでしょうか。銀の教訓はある意味、受動的・消極的な姿勢でもすることができます。それに対して、黄金律には、より能動的、積極的な姿勢が求められているのではないでしょうか。そこには、「しないこと」ではなく「すること」が求められているのです。


ん…なんていうか…「積極的だからよい」ってもんじゃないと思う。


で、アンサイクロペディアが一番的を射てる気がするのは、気のせい?
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E5%BE%8B

黄金律(おうごんりつ、Golden Rule)とは、サディストとマゾヒストの資質を兼備していたイエス・キリストが、己の快楽の為に他者を甚振り、苦痛を与えることを正当化するために生み出したキリスト教の教条の一つである。現在でも、キリスト教徒であるか否かを問わず、ジャイアニスト、ファシスト、マルキシストなど、特定の考えに傾斜し、それを推進、あまつさえ他者に押し付けるような頑迷な連中によって援用されており、多くの人々に多大な迷惑を及ぼしている。「黄金」の名を冠するとおり、他のキリスト教の教義に優越する金科玉条であり、キリスト教徒には黄金律の絶対遵守が要求されている。こんな狂気の産物としか言えないものを奨励している時点で、キリスト教が危険極まりない宗教であるのは自明である。


かいつまんで説明すれば、「俺がやられて嬉しい事は他人がされても嬉しいだろう」という思考であり、エゴイズムの権化以外の何物でもない。キリストはこの概念を絶対のものであると妄信しており、自分が拷問を受けるのが大好きだったため弟子達もきっと拷問を受けるのが大好きなんだろうという考えの下弟子達にまで熾烈な拷問を強要した。キリストはサディストでもあったため部下達を拷問する口実が欲しかった、というのもあっただろうが、基本的には善意から拷問を強要していたのである。部下達にとってはたまったものではなく、本人は良かれと思ってやっているのだからさらにたちが悪い。そうして弟子の一人であるユダは遂には耐えきれずキリストを裏切ることになる。つまりキリストが裏切られたのは自業自得ということになる。


また、この考えを敷衍して解釈すれば、「俺が好き(嫌い)なものはみんなも好き(嫌い)だろう」ということになる。キリスト教徒の多いアメリカはこの黄金律を援用し、「俺達は戦争が大好きだ、だから世界のみんなも戦争が大好きだよな?」などという俺ルールを適用して多くの国を侵略したり、介入して利益を得るべく他国同士の問題に容喙して戦争を煽動したりしている他、とあるアメリカ軍の高級士官も自分の納豆嫌いを他者にも押し付けるべく黄金律を援用し、日本政府に納豆を使った料理を禁止するよう圧力をかけている。


その他、フリーメーソンナチス、ひよこ陛下、ロプト教団、ウィキペディアの管理者などによって、黄金律は己の悪行、独裁を正当化するために使われている。


いや別に積極的に動くことを「悪し様に言う」つもりまではないのですが。
やる前に、まずちゃんと「相手の立ち位置から」本当に相手がそれを喜ぶかどうか、踏みとどまって考えてみてもいいんじゃないかなぁ、と。


ってか…なるほどねぇ「他人のいろいろなものをブルドーザーのように蹂躙してまわる」思考の根底に、こんな詭弁があろうとはよもや思いませんでしたよ(苦笑