gallu’s blog

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

色々な「殺人」を連想しながら。

ふと読み返していて、色々と腑に落ちたので。


例えば、残業で部下に無理を強いて精神を壊し自殺に追いやったら、それは「上司が殺人を犯した」もんだと思うです。
下請けに無理な作業や無茶な値切りを強いる営業、偽りの仮差し押さえを発行する弁護士、恫喝訴訟、会社や学校での陰湿ないじめ、その他諸々。
そういった「圧」によって相手の心や体や命が「死んだ」ら、それは「その因を作った連中が殺した」のと同義語だと思うです。


で、おいちゃんが個人的に一番に「おぞましい」と思うのは、彼らは「自分が殺人者であると自覚しないまま殺人を犯し続けている」ところ。


…なんてのは割と恒常的に定期的に考えるのですが。


ふとお気に入りの小説を読んで「あぁこれだ」と思ったので、共有を兼ねて。

Missing〈10〉続・座敷童の物語 (電撃文庫)

Missing〈10〉続・座敷童の物語 (電撃文庫)

P73〜、ちょいと抜き出してみました。

一つ、俺は思う事がある。
人が人を殺すことの多くは、他者を殺そうという"意思"が行われたのではなく、人が意思を放棄した事によって起こるのではないかと。
殺人者というものは"殺意"を成し遂げた人間ではなく、その逆なのではないかと、俺は考えるんだ。


人を殺すという事は、実は恐ろしく容易い事だ。
…俺はいつも言っていたな?「人は常に他者を殺し、殺される可能性に晒されている種だ」と。だた多くの人は、通常他者を殺そうとはしない。だが殺意に近い感情は、人は日常的に抱くことがあるという。だから俺は、こういう仮説を立てた。


人は「殺意を抱く」事によって殺人を行うのではなく、殺人を犯さないという意思を「常に働かせている」のではないかと。そして、それが人間の人間たる意思のあり方であり、それを放棄した時に、殺人者となるのではないかと。
殺人者とは、意思を持って成し遂げる偉大な実行者ではない。ただ人間としてあるべき意思と理性を保つことができなかった、"意思の敗北者"ではないかと、俺は考えた。


人は「他者を殺さない」という意思を放棄した時、人を殺してしまう。世の中で起こる殺人の、犯人が持つ短絡的思考など、その最たるものだ。事故ですら、同じだ。車の運転中、危険な作業中など、安全への配慮と注意が欠けた時、その刹那に事故が起こる。
これは"油断"−すなわち「人を殺さないようにする意思の欠落」が招く死だ。戦争も、一面を突き詰めれば対話の放棄だ。人は、他者を殺さないことで人間たり得る部分は確実にあると思う。もちろん全てではないが、確実に"殺人"という行為の多くは"意思"の放棄、敗北の結果とも考えられるわけだ。


多分、非常にYes。
「自分の都合や思い込みだけでこれを押しつけたとして、それに対して相手はどうなるのだろう?あるいはどうなってしまうのだろう?」という想像力と理性と知性の欠落が。
目の前で観察して、気づいているはずの「…あれ?危ない?」という状況と、その延長線にある「死への可能性」という思考と。
そのあたりを一通り放棄して無思考に短絡的に反射的に近視眼的に動いて、結果として「ブラック企業」だの「過労死」だのが生まれてくるんじゃないかなぁ? とか思ってみたりします。


あなたは「人を殺さないようにする意思」を、もってますか?