がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

あんまり巧みに口が上手くてもねぇ…

さて http://d.hatena.ne.jp/gallu/20131104/p1 で書いておいてあっさりと反証w


インスパイア元
https://twitter.com/toronei/status/394770706023452672
http://blog.tatsuru.com/archives/001425.php


端的には「スジの悪い相手とはあんまりつきあわない方が良いよ」ってあたり。
まぁ身もふたもないw


https://twitter.com/toronei/status/394770706023452672

まあ若い頃から成功した頭が良すぎる人は、「言論は内容が正しければ勝てる」と本気で思ってる人が多いわな。で、「お前は態度が悪い」と話し聞いてもらえなくて終わるパターン。

この辺とっても微妙。
両端に振り切ると「ガチで言い方が悪い過ぎる」から「相手に聞き入れる度量がないから態度や言葉遣いを責めてきている」があって、どっち側に濃厚かが不明だから。


コメントにある

「内容は正しいが、言い方を考えなさい」というせっかくの指摘を「嫉妬乙ww」で片付けてしまう上、「批判されるのは俺の正しさの証明だ」と思ってますます自信を付けるので、結果として自分を俯瞰的に見る機会を逃し続けるという悪循環。

も微妙で、とりあえず「言葉尻を捉える前に内容を正面から受け止めなさい」って指摘にもなり得るので。


勿論「ある程度まで」の言葉遣いってのは大切で。かつその「ある程度」がどの程度までなのかは「相手の住居領域」によるので、難しいところではあるのですが。
ん…シャドウランとかWoDで言うところの「礼儀作法」系スキルが、それ(かえって解らんわい普通の人はw)。
とりあえず「あんまり粗悪な言葉は使わない。出来れば、無礼ではない程度に敬語」「言葉の間に気をつけて、詰め寄ったり突き放したりしすぎない」など、いくつか抑えるべきポイントは、ある。
なので、その辺のポイントはある程度気を払った方が、ようは「多数派の人たち」から悪印象を持たれずにすむので。
んと…「悪印象をフォローするコスト」がかからない分、メリットがある感じ。


ただ一方で、これは接客業でそこそこ目にしてきて、その後ネットでも見かけるのですが。
「痛い事苦いことを言われた時に、相手の態度言動目つきその他に対して因縁をつける」手法。結局の所「主観」な部分が多いので、「オレは不快だった」と言われると、それ以上の反論がしにくいっちゃぁしにくい所なので。
かくして「正論を言われる事をそもそも受け入れられない人」が、その原因を「相手の言い方にあるのであって、自分の狭量さにあるわけではない」って転嫁をすると「内容は正しいが、言い方を考えなさい」って話にもつながり得る(念のため。前述でつぶやいている人がそうだ、って意味では全くないので誤解のなきよう)。


んで、もう一方のBlogを軽くチェックしてみる。
http://blog.tatsuru.com/archives/001425.php

私の出す質問や脱線する無駄話の内容だけでなく、こちらの話し声のピッチやトーンや姿勢やテンションの変化といったシグナルを「どう読んだか」ということを見るのである。

なに屋さんになろうとしているか、にもよるかなぁ。
ただまぁ「話し声のピッチやトーンや姿勢やテンションの変化」。ん…テンションの変化は結局「話し声のピッチやトーン」と、後は「単語の選び方」「語尾」あたりに出るので。
その辺が「読める」人は、読めない人よりも有利ではあると思う。
…基本その辺は「苦労なく読める」ほうなので、読めない人がどれくらいの不利益を被ってるかは正直よくわからない。ごめんね。

コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。
これは別に私の趣味でやっていることではなくて、この構えは生物の個体としての「生存能力の高さ」に相関するからである。
私は限りある教育的リソースを彼女たちに一定期間集中的に投じるわけである。
そのために要求する条件がだから、「どんな状況もなんとか生き延びることのできる能力」であることはハインラインの『宇宙の戦士』の新兵の選別条件と変わらない。

…これは色々微妙だなぁ。
このロジックを間違えると「圧迫面接」とか「威圧による教育もどき」を簡単に肯定できちゃうし。
違う角度で見ると「早めにへこたれて逃げたり悲鳴を上げたり倒れたり適合できなくなったり」したほうが、結果的に身を守れるケースもあるから(例:ブラック企業)。

とりあえず、ひとつだけわかっていることがある。
それはどんな場合でも、とりわけ危機的状況であればあるほど、「他者からの支援」をとりつける能力の有無が生き延びる可能性に深く関与するということである。

これも微妙。
明示的に「違う」って言い切れる内容ではないんだけど、同じくらいに「全面的に同意」出来る内容でもない…っていうか、同意するにはあまりにもあちこちに、脆さと落とし穴が想起されてしまうので「危ないなぁ」って思ってしまう。

他者からの支援をとりつけるための最良のアプローチは何か?
たぶん、ほとんどのひとは驚かれるだろうけれど、それは「ディセンシー」である。

んで、ここに行き着くんだなぁ、っと。
decency:礼儀正しいこと。また、礼儀作法。
念のため。


礼儀作法は「ある程度まで」は重要で。
ん…よくシャドウランとかVampire: The MasqueradeとかでPLに説明をするのですが。
礼儀作法ってのは「相手の領域に入るさい、ドアのノックの仕方を知っているか」だと思うのです。


ノックの仕方を知らないのはおおよそ致命的で。
門前払いを食らうか、或いは「大きなペナルティを背負った状態で」交渉を開始するので、とりあえず「絶対に避けておきたい」ところではあります。


ただ、所詮「ノックの仕方」であり、つまり交渉の「入り口」でしかないので。
そこから先を論じずに「美しいノックさえ出来れば交渉は上手くいったも同然」とか考えると、ひどい目に遭うっていうか食い物にされるのがオチだったりするわけで。


結論として。
「ある程度までの」礼儀作法と「ある程度までの」温厚な態度言動、ってのは大切なのだけれども。
あんまりそこに固執しても仕方がないし、相手によっては「クレームをつける対象」にそこを使ってきたりするので、そこで神経使いすぎてもつまらないので。


ある程度「まで」は意識、それでもなお五月蠅ければあとは「切り捨てる」くらいのバランス加減、でよいんじゃないかなぁ、と思う訳ですよ。
おいちゃんは。