がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

「聖なるものの現れ」からの逸脱

過去、おそらくいくつかの職業と職域は「神聖にして犯されざるもの」だったように思います。
例えば警察&検察、医療(病院)、学校、役所(政府)。


そういったお仕事は「何かタスクをこなすことで給金をもらう」というだけのものではなく、それを超える「神聖にしてある意味絶対的な不可侵領域」であり、それはまさに「聖なるものの現れ」なのではなかったのだろうか、と。


警察&検察は正義と弱者を守り、医療は仁慈の術であり、学校は子供達を慈しみ守り育てる場所で教師は聖職であり、役所(政府)は国を担い憂い国のために粉骨砕身する。
多分そんな「イメージ」が、人によっては今でもあるんじゃないか、って思うのですが。


で。もしかしたら「昔は」或いは今でも「ごく一部」の人は、そうかもしれないのですが。


でも、全員…かどうかは分かりませんが、現状拝見しているに、多くの場合彼らもふつうの「さらりまん」に過ぎないんですよね。
つまり「タスクをこなして給金をもらい、自分の立身出世が基準になる」程度の。
でも未だに「聖職」という「イメージ」があるから、身の引き締め方も甘く、第三者からのチェックも手ぬるく、その他諸々「問題があった時の自浄作用」が、あまりにもなさ過ぎる。
本当に彼らが「聖なる職業」であり「聖なる領域」であり「故にかれらはその聖なる性質によって決して間違いも犯さなければ問題も起こさず、自分よりも他人の事に腐心する」のであればよいのですが。


違うでしょ?
他人より自分の保身を第一に動いてるでしょ?
「自分の利益になり、或いは不利益にならない」事を大切にしているでしょ?


だから。
そろそろ、もしかして必要なのは、彼らの職業は決して「聖なるものの現れ」ではなく、ただの「さらりまん」なんだ、ってことを、みんなが認識するのがとても大切なんじゃないかしらん? とか思うのです。
さらりまんなら、彼らの発言は可能性として「保身と自分の業績アップ」を基準にしている可能性があり、だとすると、彼らの発言を「初手から疑ってかかる」ことも出来るはずなので。
それがもう少し広まれば、きちんと「可視化して第三者チェック入れて透明化して自浄作用と場合によっては外部からの圧力もかかりうるようにする」システムが、できあがるんじゃないかなぁ、って思うので。


なんていう、ある意味「物騒」な事を考えてみたりするのですが、実際どんなもんなんですかね?
現在「聖職にしがみついている」人達には、とても嫌な論調だろうとは思うのですが。