がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

寄るべきは 相手じゃなくて 己が腕

注意
おそらく。だいぶんに暴論な上でかなりとっちらかってます。
いつも以上に注意しながらご覧ください。


発端というかきっかけは、書籍にあるとある台詞でした。

宮大工の人育て (祥伝社新書 104)

宮大工の人育て (祥伝社新書 104)

腕一つでどこへ行っても食べていける大工は

自分の中にはごく普通にある当たり前の発想なのですが…ふと考えると。最近の子がじゃぁどんな台詞を吐くかといえば「いい会社に入れるように高校に行こう」なんじゃないかなぁと思うです。なんで選択肢が「大工と高校の二択なのか」は書籍をご覧ください…ってほどの話でもなくて。筆者が中学を出たあとの自分の進路で悩んでる、って行の話だからです。
んで。
ここになにか、決定的な違いを感じました。前者は「自分で道を切り開く」考え方で、後者は「他人に寄りかかって生きる」考え方です。


何となく…のイメージではあるのですが。
大分昔って、基本的に皆さん「自分の腕で稼いで自分の二本足で立つ」のが当たり前だったように思います。
ただ、いつの間にか…少なくとも今。多くの人は「他人が稼いだところに寄り添って相手の二本足で立たせてもらう」ほうが普通になっているような気がします。
株やらFXやらで「他人の稼ぎ」の上前を撥ねて腕はなくてもよいしょだけで会社に寄生して。あるいは引きこもって親のすねを髄までしゃぶって。それでも厳しければ行政が悪くて手助けがあるのは当然だと主張して。以下略。


自分としては「相手に期待して相手に依存する」なんて怖い生き方なんでできるんだかが不思議で仕方がないのですが…ふと。いつもの癖で「逆側」を考えた時に、ちょっと怖い思考が走りました。
相手が依存してくるって、いわゆる「支配して搾取する」階級の方々にとっては非常に好都合なんですよね。
一度依存させてしまい、ついでに自立できる二本の足を去勢してしまえば。相当な事をしても、彼らの支配権を握りっぱなしに出来ますから。いわゆる「生殺与奪を握ってる」状態、ですよね。


えと…


なんだかんだ、個人の力なんてたかが知れてます。それよりはみんなで手を繋いだ方がいいに決まってます。
個人は論外として。小さい資本だとちょっとした波でも遭難します。大きな資本なら、結構な不況の波が来たとしても、私達ならあなた方を守って上げる事が出来るんですよ? あなたが守りたい人を守るためにも、あなたが潰れちゃ意味ないでしょ?
そのためにも会社は大切で重要で、なによりもまず会社を守らなきゃいけないんです。会社が倒れるということは、あなただけではなくて、社員全員が倒れてしまうんですよ? あなたはそんな酷い事が赦されると思いますか?
さぁあなたは会社のために頑張らなくちゃいけない。会社が設定した目標は絶対なのです。そうしなければ会社が倒れてしまう。あなたは会社を潰したいのですか?
ほら働くのです。休んでいるヒマなどありません!! あなたのためにも。あなたと同じ仲間のためにも!!


まぁ基本美辞麗句のオンパレードですよね(後半なにが?って感じですがw)。しみじみ思いますが。中が汚ければ汚いほど、きれいな飾りで着飾りたくなるものです。
確かに会社って船だとは思うんですがね。不況という荒波に対して、確かにスタビライザーもあるとは思うんですがね。
船が大切にしたいのは「船体そのもの」や「船長」であって。別に船員じゃないんですよね。会社という船が持っているスタビライザーの名前って「社員」って言うんですよ? ついでに動力も燃料も一通り「社員」なんですけどね。んで、デッキチェアーで優雅にタイタニック抱きとかやってるのは「役員」とか「株主」って名前なんですよねぇ。その辺気付いてます?


閑話休題


多分。こうやって美辞麗句と詭弁を駆使して、昔の実力者(政治家と経済界の人間なんですかねぇ?)は「庶民を食い物とすべく隷属化計画」とかいうことを考えて、んで、多分今を見るに、それは素晴らしいほどに成功しているような気がします。…まぁその手腕にはある意味尊敬の念を払います。
んで…何となく…ですが。何か大きな歴史的事件があって(勝手な憶測ですが。第二次世界大戦なんじゃなかろうかと予想してます)。そのあたりの混乱を利用したような気がするんですよねぇ。「大きなサプライズの直後に新しい価値観」って洗脳の基礎の一つですし。って何か真っ黒い話してますが(汗
まぁ上述自体十分問題なのですが。それ以上に問題なのは、多分上述をやったなかでも核になってるような方々は…多分「今すでにいなくなっている」ような気がするんですね。物理的になのか(死んだ)精神的になのか(弱った/あぐらかいて能力が低下した)はともかく。
元々首謀者だった方々は。多分「己の腕で食う」という、元々のしぶとい価値観から培った、それなりに芯も気合いもある方々だったんじゃないかと思います。で、だからこそうまくいったんじゃないかと思うんですね。庶民がぶら下がりよりかかっても「もつ」だけのパワーが胆力があったんじゃなかろうか、と。
ただ、今それを引き継いでいるのはおそらく「他人に寄りかかる」、隷属属性をもっちゃった方々なんじゃないでしょうか? 寄りかかってもらえるだけの胆力もパワーも根性もなにもない。


その辺は…後継者教育間違えたんだろうなぁと思うのですが。
彼らが想定していたのはおそらくは「国民総奴隷化」で。つまりは「隷属のための調教と洗脳」で。
だとすると、自立する気力とか状況をひっくり返すパワーなんてのは邪魔でしかないわけで…ってのを基準にした去勢なので。
進むべき道も餌もすみかも生き方も全て「与えられる」もので自分たちはただ口を開けていればいいてな感じで進んできたっつか進められてきたんだろうなぁ、と。
困ったらただ上に頼ればよくて上から切られたら万事休すだからこそ上はなによりも大切で重要で以下略、と。
そう考えると…例えば「行政が何とかしてくれるはず」とか「教えてくれて当然」とか…いわゆるおいちゃんが大嫌いな、あぐらをかいた考え方の数々を最近異様なほどに耳に目にする理由にも得心がいこうってもんです。
いやまぁ「後継者」にはそれなりの帝王学だのなんだのを叩き込もうとはしたのでしょうが…現状を見ている限りそっちは失敗していて。後継者さん達もまた、見事なまでに「奴隷属性」「隷属属性」持っちゃったんじゃないでしょうか?
今の「結局何も出来ずに逃げる」首相の連打とか見るだに…なんか全然推測が間違ってる気がしません orz


ただ…どう考えても、これほど怖い事もないですよね。
寄りかかるべき相手が主導権を握っている相手が指揮権を持つべき相手が「寄りかかる事でしかやっていけない」。胆力もパワーも寄りかかれるだけの地力もリーダーとしての牽引力も状況をひっくり返すだけの根性もっつかそれ以前に自分の足で立つことすら出来ないだなんて。
寄りかかろうとしている我々は、いったいどうやって寄りかかればいいんでしょ? っつかだからこそ「がっしゃんがらがら」と壊れたんじゃないでしょうか? 今まさに。


寄らば大樹の陰たる大企業は或いは倒産し、或いは火の車になり。寄ってきた連中をリストラクチャリングの名の下に切り捨て。
行政だって以下略。っつか年金の発端付近の話とか、いっそ笑えません?
ここに来てなお。あなたは「誰かが助けてくれるはず」って言って待ちます?
別に止めやしませんがね。はっきり言いますが、誰も助けてなんざくれやしませんよ?


相互援助、互助っていう概念は、そりゃぁ素晴らしいものだと思うんです。それは否定しません。
でも。それは「与えてもらう」事が基準なんじゃなくて「与える事」が基準なんじゃないですか?
鳥の雛じゃあるまいし。巣から出もせずに口だけあけて「餌くれ〜 餌よこせ〜 餌がなきゃ死んじゃう〜 死んだらおまえのせいだ〜」とわめくのが互助ですか?
己の腕で食って。己の二本足で立って。少しだけある余力で、今ちょっとふらついている方に手を「さしのべる」。それが、互助ってもんなんじゃないんでしょうか?


人と手を繋ぐ事の大切さを。助け合う事の有り難さを。それなりには知っているつもりですし体験もしているつもりです。
でもだからこそ。まず一番に大切なのは「己の二本足で立つ」事なんじゃないでしょうか?


相手に頼るんじゃなくて。
己の腕を頼りに、世間という現実という不況という荒波を渡っていきたいと思いませんか?
そのためにも。エリートコースだのお学歴だのお上品で空虚な幻想を追いかけるんじゃなくて、まずは手に職。己の腕でおまんま食って、己の二本の足で立って。
そこからじゃないかと思うんですが、どんなもんなんですかねぇ?